[目次をPDFで見る(4,195.KB)]   [書籍の外観を見る(49.KB)]
戸倉町誌 第二巻 歴史編 上
出版:1999年/出版元:戸倉町誌刊行会/編集者:戸倉町誌編纂委員会
章節目次
原始







原始

第一章






人類の曙期と自然 3


第一節





更新世の自然環境 3








はじめに 3








更新世の自然―氷河時代― 4









氷期と間氷期のくりかえし









火山活動説








海面変動と河岸段丘 6









海面変動









河岸段丘


第二節





更新世の人類 7








人類の発生と展開 7









人類の発生









人類の展開








日本列島の旧石器文化 11









日本列島









旧石器文化のあり方









中部高地の人類









旧石器人の道具箱


第三節





更新世の千曲川回廊と戸倉 17








野尻湖底と千曲川 17









自然環境









野尻湖への回廊








戸倉の旧石器時代文化 19









台地・崖錐の旧石器文化









上ノ平の彫刻器









三島Aの尖頭器









中村遺跡の尖頭器









大型動物の狩人

第二章






縄文文化の繁栄と転換 24


第一節





山地漂泊生活の人々 24








山地漂泊民の生活 24









縄文文化









山地漂泊民の生活








芝平遺跡から幅田遺跡へ 27









山腹のテラス芝平遺跡


第二節





更新統(洪積)台地の繁栄 33








更新統(洪積)台地への進出 33









温暖化の自然環境









洪積台地への進出








土器の多様化と生産 34









縄文時代の生産カレンダー









土器のセット化









土器セット化の意味








幅田遺跡群の変遷 36









幅田遺跡のあり方









円光房遺跡のはじまり









採集的なキャンプ









配石遺構の課題









敷石住居跡と円光房遺跡









円光房遺跡の立石跡









縄文中期の円光房遺跡









川東区唯一の上ノ平遺跡


第三節





完新世の地層への展開 69








完新世の地層の原風景 69









自然環境









河川と原風景








精製・粗製土器文化 70








縄文終末期と円光房遺跡 72









敷石住居をめぐって









二六号住居跡のあり方









円光房の墳墓









円光房の土器集積跡









円光房遺跡の包含層出土の遺物









円光房遺跡の意義

第三章






弥生文化と金属器と 98


第一節





弥生文化のはじまり 98








はじまりの西と東 98









搬入か稲作か









受容の体制









西と東のあいだ








稲作文化の開花 100









信濃の弥生文化









エリアの成立









弥生最盛期の文化








八王子山A遺跡の課題 108









八王子山A遺跡









松節遺跡とその関連









芝原出土の土器









若宮遺跡の環状石斧


第二節





ムラからクニへ 112








シナノの成立 112









シナノの語源









シナノの成立









ムラからクニへ


第三節





金属器の位置 114








銅鐸と銅利器 114









輸入銅器と再鋳銅器









隠蔽の意味








若宮箭塚遺跡の銅剣 115









若宮箭塚の発見









信濃の分布


第四節





在地型弥生文化の解体 118








弥生文化の展開のなかから 118









弥生時代の編年









時代相としての弥生








周溝墓群と墳丘墓の間 120









弥生の墓制









墳丘墓と弥生期の解体
古代







古代

第一章






古墳時代の戸倉 125


第一節





古墳の変遷 125








初期古墳の意義 125









弥生から古墳へ









高塚古墳の形式









中央と地方








畿内型前方後円墳の出現 128









森将軍塚古墳









祭政体としての古墳








祭政体と移動 129









善光寺平の前半期の古墳









変遷のあと








横穴式古墳の群集化 131









後半期の古墳









群集墳の構造








半島系古墳の課題 133









半島系古墳とされるもの









資料批判の一つ


第二節





古墳時代の戸倉 135








千曲川左岸域の古墳 135









若宮・芝原支群 135









八王子山B・C遺跡のあり方









八王子山B遺跡









芝原中村古墳









東芝原古墳









仙石支群 140









勝山古墳









大新田古墳









羽尾支群 141









桜塚古墳









藤ノ木古墳









堂城山古墳









三島古墳









双子塚一・二号墳








千曲川の右岸域の古墳 145









上ノ平古墳群 145









上ノ平古墳









中山支群 146









中山古墳









柏王支群 147









柏王古墳群









信濃の古墳群の内で








千曲川左岸域の集落 151









土器群の変遷









左岸域上前半期の集落遺跡









三島平遺跡









左岸域後半期の集落遺跡









幅田遺跡









吉野遺跡









三島平遺跡の竪穴住居跡








千曲川右岸域の集落 174









右岸域と集落遺跡

第二章






律令制の中の戸倉 175


第一節





統治体制の成立と戸倉 175








科野国から信濃国へ 175









シナノから科野国へ









科野国から信濃国へ








統治体制の成立 176









大化以前









大化改新









律令制の確立へ









更級・埴科郡の里(郷)と戸倉









戸倉町の古神社









律令の税制としくみ









東山道と戸倉









大垣と姨捨山


第二節





律令体制の中の遺跡群 187








千曲川左岸域の遺跡 187









三島平遺跡と高床建物跡









円光房遺跡のあり方


第三節





古氏族と戸倉 194








更埴地方の古氏族 194








戸倉町と古代氏族 195









小長谷部









神人部









建部

第三章






奈良・平安時代と戸倉 197


第一節





律令体制の変質と戸倉 197








『万葉集』の中の信濃東歌 197









『万葉集』と千曲川








班田の不足と墾田の開発 198









班田の不足









墾田の開発


第二節





奈良・平安時代の集落 199








左岸地帯の遺跡 199









花柄遺跡の須恵器









幅田遺跡のあり方


第三節





仁和の洪水と集落 203








右岸地帯の流失 203









千曲川満水









仁和四年の洪水砂









磯部郷の流失









将門と東国


第四節





須恵器生産と寺院 207








須恵器窯跡の拡散 207









朝鮮半島系の雑器









須恵器窯跡の拡散








戸倉町の西洞窯跡と郷嶺山窯跡 210









若宮西洞窯跡









羽尾の郷嶺山窯跡









戸倉の中山窯跡








氏寺と定額寺と国分寺と 212









氏寺









定額寺









信濃国分寺








須恵器生産の終焉 213









中部高地の窯業集団









須恵器の終焉とうつわもの


第五節





姨捨伝説と冠着山 214








姨捨伝説の起源 214









姨捨伝説の原形








姨捨と戸倉と 215









姨捨伝説の背景









姨捨伝説と文学


第六節





末法思想と経塚群 216








姨捨をめぐる末法思想 216









末法思想









経塚の造立









戸倉町の経塚









経塚の分布と姨捨山








墳墓と密教のあり方 223









墳墓と姨捨









東福所の骨蔵器









円光房遺跡の礫石群









羽尾・扇平の密教法具


第七節





古代の仏像文化財 231








観音堂の木造千手観世音菩薩立像 231
中世







中世

第一章






鎌倉時代 235


第一節





村上氏と保元・平治の乱 235








村上氏の発生 235









村上氏のおこり








村上為国父子と保元の乱 236









為国父子上皇側に味方


第二節





木曽義仲と鎌倉幕府 237








木曽義仲の挙兵と麻績の戦い 237









以仁王の令旨と信濃源氏









義仲の挙兵








横田河原の合戦と八幡宮 239









義仲の本拠は依田館









義仲の武士団









横田河原の戦いと八幡宮








鎌倉幕府の成立と村上氏 243









義仲の入京と村上氏









一の谷の戦と村上氏









鎌倉幕府の成立









村上氏と鎌倉幕府


第三節





更埴地方の武士 246








承久の乱と屋代氏 246









北条氏の台頭









承久の乱と信濃








北条氏と薩摩・諏訪氏 249









北条氏と北信濃









坂城郷地頭薩摩氏









諏訪氏と船山郷








山田・入山・市河氏 252









鎌倉期の山田氏









室町・戦国期の山田氏









入山氏の出自と動向









市河氏と船山郷青沼村

第二章






南北朝・室町時代 256


第一節





船山守護所 256








船山守護所の設置 256









南北朝期の信濃









小笠原貞宗信濃守護に









船山守護所の設置と立地








中先代の乱と船山守護所 258









北条時行の挙兵









船山・福井河原の戦









坂木北条の戦いと村上信貞









観応の擾乱と船山守護所


第二節





宗良親王と更級の里 263








宗良親王と信濃 263









宗良親王信濃へ








宗良親王と更級の里 264









親王の更級里居住









親王の居住地









親王の住んだ時期









親王と成俊僧都









草庵の比定地








宗良親王と柏王 268









宗良親王の髻塚伝説


第三節





村上氏と大塔合戦前後の状勢 269








国人と守護の対立 269









守護小笠原氏から上杉氏へ









村上氏ら国人領主と守護の対立









船山守護所平芝へ移転








大塔合戦と村上勢 271









小笠原長秀の守護補任









守護長秀の入部と大塔合戦









大塔合戦後の波乱









船山郷が将軍領へ








永享の乱・結城合戦と村上氏 274









守護小笠原政康と船山郷









守護政康と村上頼清の対立









村上頼清・将軍義教に謁見









永享の乱と村上氏









結城合戦と村上氏

第三章






戦国時代 279


第一節





村上氏の勢力拡大 279








小県、川中島平への進出 279









村上氏の小県進出









村上政清の高井郡進出









村上氏二流と坂城系村上氏の進出









村上義清の海野氏攻略 









信濃の戦国時代








葛尾城と戸倉 283









葛尾城の構造









姫城と葛尾城の根小屋









葛尾城の使用期間









葛尾城への道









姫城・根小屋への道









葛尾城の後背を固める戸倉


第二節





川中島合戦と武田氏の支配 289








村上氏の敗退 289









上田原の戦い









村上義清の反撃









武田晴信の砥石城攻め









義清の長時支援と砥石落城









葛尾城自落








川中島の戦い 294









長尾・武田両軍一回めの衝突









義清の塩田城退去と長尾・武田両軍の戦い









川中島の戦いと大塚・塚原の対陣









晴信の葛山城攻略と景虎の救援









川中島の激戦









武田・上杉両軍の八幡対陣








武田氏の支配 301









地侍と被官









武田氏の農民支配









武田氏の課役









武田氏の用水支配









武田氏の社寺支配









伝承からみた武田氏の住民入れかえ









武田氏の貫高制









武田信玄の軍役









信濃武士の軍役









麻績氏の起請文









戦国時代の戦いかた









在地武士の考えかた









武田氏の信濃支配達成


第三節





屋代氏と荒砥城 310








武田氏への服属 310









屋代氏の前史









屋代政国の武田氏への臣属









政国の雨宮領有









政国の新砥領有









政国の戸倉領有とその後








武田氏滅亡後の混乱 313









武田氏滅亡と森長可の四郡支配









上杉・北条・徳川三大勢力の信濃侵入









上杉景勝の北信平定









村上氏の還住、屋代秀正海津副将に









真田昌幸の徳川臣属と秀正









秀正の所領拡大








徳川家康への服属と荒砥城 318









秀正の家康への内通









上杉・徳川に両属する秀正









秀正の海津城退去









村上景国の没落









秀正の抵抗









その後の秀正と屋代家


第四節





上杉景勝の支配 324








稲荷山築城 324









稲荷山城









松田の名跡をついだ仁科盛直








虚空蔵山の戦い 325









虚空蔵山









真田昌幸上杉氏と戦う









上杉景勝の真田昌幸救援









虚空蔵山の戦いの意義








上杉氏の北信濃四郡支配 330









移封前の上杉景勝の信濃支配









定納員数目録









海津城の在城衆









猿ヶ馬場の在城衆









稲荷山の在城衆









荒砥城はどうなったか









屋代城在番衆








上杉氏の会津転封 337









豊臣秀吉の移封命令









信濃武士の会津引越









信濃侍の新知行高









上杉家臣団会津移住の波紋

第四章






中世の街道と峠道 342


第一節





鎌倉への道とその変遷 342








鎌倉道 342









鎌倉街道









戸倉の鎌倉道









戸倉以南の鎌倉道








鎌倉道の変遷 346









葛尾城搦手を通る室町時代の道









福井から五里ヶ峯を越える戦国時代の道









笄の渡しの位置


第二節





千曲川左岸の峠道 350








古峠と一本松峠 350









古峠をとりまく歴史的環境









古峠の道筋









古峠の通行









一本松峠の道筋









木曽義仲軍の峠越え









中先代の乱での通行








小豆坂越えの道 355









千曲川左岸を通った幹線道路









室賀峠から御厨社までの道筋









網掛をう回したわけ









御厨社から上山田までの道筋









戸倉町八王子山から西組へ









若宮を南北に走る大道









西組から小豆坂を通って猿越道へ









猿越道から更埴市境までの道筋









更埴市代から八幡への道筋

第五章






中世の村落と居館・山城 363


第一節





郷と村落 363








戸倉郷 363









中世戸倉郷の初見









戸倉郷の領主とその領域








更級郷 365









中世更級郷の領域









中世前期から中期にかけての更級郷の景観








船山郷 369









中世船山郷の初見とその後









中世船山郷の景観








中世村落福井の景観 373









中世福井の初見とその範囲









用水と耕地









お経畑と中世墓地









諏訪社と産土神


第二節





居館と村落 380








小船山館をめぐる守護所問題 380









船山守護所比定地の再検討









船山郷の北条基時とその館









基時の館から守護所へ









小船山の地名と立地









小船山の館跡(守護所)









その後の小船山館








明徳寺館跡と村落 387









明徳寺館跡の記録









明徳寺館の主









明徳寺館跡の規模と立地









明徳寺東方の屋敷割








戦国時代の若宮の館跡と村落 391









若宮の地名の由来









新戸郷の若宮









若宮八幡宮の境内地









若宮の館









左京屋敷









若宮を通る古道








柏王の村落移動 395









柏王集落名の変遷









柏王集落の発生伝承









柏王集落貴人伝承の背景









柏王集落の移動伝承









船山守護所と柏王


第三節





千曲川と村落 399








中州集落と黒彦村 399









中世黒彦の初見









中世黒彦村とその領域









森検地と黒彦村落









智識寺棟札の黒彦衆









黒彦千軒の伝承








古地名からみた戸倉地域 403









戸倉の地形と地名









開発・生産・流通にちなむ地名









信仰・行事にちなむ地名









古戦場福井河原と清雲寺









福井の耕地と地名


第四節





山城 409








岩崎城 409









「岩崎城」名について









岩崎城の縄張り









岩崎城築城の背景









磯部口の防備状況









その後の岩崎城








正城山砦 413









正城山砦の伝承と性格









正城山砦の縄張り








中院林城 414









中院林城の位置と古記録









中院林城の縄張り








宮坂城 416









宮坂城名と記録









宮坂城のしくみと性格









下の堅井城








堂城山城 417









堂城山城の縄張り









古墳利用の堂城山経塚









古墳と山城









堂城山城築城の背景









再利用された堂城山城

第六章






中世の文化と宗教 422


第一節





おばすて山の信仰と佐良志奈神社若宮八幡宮 422








おばすて山の歌 422









全国的な棄老説話









おばすて山が和歌に取り入れられた背景









月の歌枕のおばすて山









信生法師の歌









姨捨の謡曲








佐良志奈神社旧地と若宮地籍 427









佐良志奈神社の旧社地









佐良志奈神社発生地と冠着山









武水別神社の所在地









冠着山奉斎の佐良志奈神社








佐良志奈神社若宮八幡宮と武水別神社八幡宮の祭祀 430









若宮の地名









峯児









佐良志奈神社若宮八幡宮の祭神と社殿の位置









若宮用水と武水別神社八幡宮









佐良志奈神社若宮八幡宮の新嘗祭









佐良志奈神社と武水別神社八幡宮大頭祭との関係 432


第二節





戸倉町の文化財 434








戸倉と中世の文化 434









目ぼしい中世文化財が少ないわけ









若宮の宝篋印塔









明徳寺周辺の地








長泉寺木造聖観音坐像 437









戸隠から移った聖観音像









この観音の様式と時代性








観音堂木造薬師如来坐像 438









薬師如来像の由来









薬師如来像の構造と特色
近世







近世

第一章






幕藩制の成立と展開 443


第一節





森忠政と松平忠輝 443








森忠政の北信濃入り 443









上杉景勝移封後の北信濃









森忠政と北信濃








松平忠輝の政治 445









忠輝と大久保長安









松代城代花井吉成父子の政治









忠輝の改易


第二節





幕府領の成立と展開 448








高田藩領から坂木藩領へ 448









高田藩坂木領の成立









坂木藩から幕府領へ








坂木代官所から中之条代官所へ 452









坂木・中之条代官の変遷









代官の農民支配


第三節





松代藩の成立と藩政 458








松平忠昌と酒井忠勝 458









忠昌の松代入封と松代藩の成立









酒井忠勝と川中島知行目録








真田松代藩の成立と藩制 460









真田信之の松代入り









戸倉町域の地頭









藩の組織と行政区画








触書と領民 470









松代藩の触書









宝暦改革

第二章






村の推移と貢租 475


第一節





近世村落の推移 475








村の分立 475









上戸倉宿の形成と村の分立









水害地の再開発と徳間村の成立









分村と統合をくりかえした小船山









仙石組にみる枝郷の自立動向








郡境・村境争論 484









冠着山をめぐる郡境争論









福井村と上戸倉村









福井村・上戸倉村・山田村









下戸倉村と山田村









徳間村と下戸倉村









内川村と下戸倉村









千本柳村・下戸倉村・若宮村の境立問題


第二節





検地と貢租 493








検地 493









寛文六年の指出検地









寛文以降の松代藩検地









幕府領の検地









村高と百姓持高の変遷








松代藩の貢租 500









本年具の割付と皆済









地頭と村の百姓たち









増える御用金と先納制の導入









恩田木工の年貢月割納仕法








幕府領の貢租 509









板倉領から幕府領へ









年貢納入の割付と皆済









幕府領の年貢納仕法









年貢高の変遷


第三節





村の家数と人数 519








家数と人数の諸帳 519









五人組帳・宗門改め帳









人詰改め帳・切支丹宗門改め帳








村の家数・人数の推移 523









明治十年代の家数・人数









下戸倉村の家数・人数









水災地上徳間村の家数・人数









村々の家数・人数









寺と檀家









村の堂・庵

第三章






入会山と御林 536


第一節





入会山と山論 536








林野の利用 536









百姓の山林・林野利用









東山入会地の三か村大割









福井村の割山利用









下戸倉村上町山組の割山と規制









百姓持林の管理と山小作









永井村入会山の利用









仙石山の入会利用









手前林の利用








山をめぐる争い(山論)と林野の開発 554









幕府の裁定を仰いだ沢山山論









仙石山をめぐる争い









若宮の河川敷開発の争い


第二節





羽尾御林 559








松代藩の御林 559









戸倉町域の御林









松代藩の植林政策と百姓








御林の管理と利用 562









御林の管理と御林見









御林見の見回り









御林見の任免と役料









地元百姓の御林利用









御請山開発

第四章






宿駅と交通 572


第一節





北国街道と戸倉宿 572








上・下戸倉宿 572









北国街道と戸倉宿









宿の構成









本陣









問屋と問屋出入り









助問屋








宿継ぎ 578









伝馬役









賃銭









伝馬役の軒割・高割









商い荷物の継ぎ立て









宿入用








助郷 585









戸倉宿と坂木宿の助郷









七か村との助郷出入り









矢代宿助郷









中山道助郷


第二節





旅籠屋と飯盛女 591








旅籠屋と御用宿 591









旅籠屋と茶屋









御用宿








飯盛女 595









下戸倉宿の飯盛女









飯盛女の出身・年齢









奉公人請状と給金









飯盛女と差し留め出入り









明治初年の飯盛女


第三節





中馬と船渡 602








中馬と手馬 602









明和の裁許









松代領の手馬









松代領の村々と宿場との出入り








船渡し 607









戸倉町域の船渡し









船賃と船銀









新舟造り


第四節





街道の様子 610








街道の動向 610









裏道と道普請









万字(万治)峠








庶民の旅 612









江戸への旅









往来手形道中記









善光寺への参詣

第五章






水の利用 616


第一節





戸倉町域の水利用 616








江戸時代の戸倉の水利用 616









江戸時代の戸倉の水利用









江戸時代初期の矢代堰









享保・寛保の水害と諸村用水の分立


第二節





千曲川の水利用 621








上戸倉・福井・下戸倉三か村用水 621









戸倉三か村用水









苅屋原と岩崎の圦樋









貝喰沢走越








上徳間村用水 627









上徳間村用水の開発に向けて









幕府領七か村との了解交渉









寛政・文化期の改修









天保期の上徳間村用水の改修








内川村用水 632









内川村用水の開発









内川村用水の維持管理








千本柳・小船山・向八幡三か村用水 638









千本柳村用水の開発









三か村用水の成立









三か村用水の維持管理








若宮用水 642









若宮大口用水









若宮・須坂・八幡三か村用水


第三節





雄沢川・湯沢川の水利用 647








羽尾沢・仙石沢の水利用 647









羽尾沢・仙石沢の水利用









合津堤の築堤








水をめぐる争い 653









分水規定と水の融通









幅田堰をめぐる問題









吉野沖の水利用の問題









芝平新堤の築堤問題

第六章






村役人と村政 660


第一節





村方三役 660








村役人 660









幕府領の村役人









松代藩領の村役人









頭立








村役人の交代 665









松代領村役人の交代









幕府領の村役人の交代









村役人の交代と村方騒動









村役人引き継ぎ帳面


第二節





村政と村民負担 670








村民負担 670









村役人の仕事









伝馬と星役








村財政 675









村入用夫銭









幕府領の村夫銭と出入り

第七章






村民の暮らし 680


第一節





村と家の規制 680








村民の身分構成と変化 680









松代藩領の百姓身分制









判下身分の上昇









幕府領の百姓身分









被差別部落








村の仕置権と寺入り 689









村法と村の仕置権









村中初寄り合いと年中行事









寺入りと寺のとりなし









駆け込み訴え









村と個のあつれき








家と百姓株 699









上層百姓の家格









百姓名跡と養子制









分家と隠居別家









潰れ百姓・家訓









印判と血判








女性のすがた 710









女性の地位









婚姻と離婚









女性の自立


第二節





衣食住の高まりと村の変化 715








衣食住の向上 715









領主の奢侈・華美禁止令









衣生活の高まり









家屋の改善









年間の金銭支出と暮らし









上層家の婚礼








信仰のひろがり 734









村を訪れる人びと









御師の巡村









伊勢講と諸講社









伊勢代参の旅









岩船地蔵と徳本行者









回国巡礼と札所巡り









堂社の維持








若者組と祭礼 751









祭礼の盛行









領主の祭礼・若者組の禁令









若者組の規定と組織化









若者組の祭礼興行

第八章






水害と諸災害 762


第一節





水害 762








寛保二年の大水害 762









寛保二年戌の満水









上徳間村と内川村の被害








たびかさなる水害 765









たびかさなる千曲川の洪水









江戸時代初期の水害









江戸時代中期の水害









江戸時代後期の水害








絶え間ない治水工事 770









千曲川通川除普請









百間土手と千間土手









上徳間村住居囲御普請所









羽尾沢と仙石沢の山沢除









莫大な工事費の負担


第二節





凶作と飢饉 779








天保の飢饉 779









天保の飢饉









年貢と小作米の減免願い









米・金の拝借と城詰米









食料の確保と融通









物価の動向と飢え人の救済








さまざまな災害 792









不作の訴え









干魃と雨乞い









幕府領の貯夫食制度









松代藩の社倉









村定め


第三節





火災と善光寺地震 803








火災 803









上戸倉宿の大火









下戸倉宿の大火








善光寺地震 806









善光寺地震









大地震がつづくなかの人びと









震災の救援

第九章






農業と諸産業 812


第一節





農業 812








稲作と畑作 812









農業の移り変わり









田植えの時期と農業の記録









畑作と木綿









杏とさつまいも








養蚕業 819









養蚕業の始まり









蚕種









紬・斜子織物









大谷幸蔵


第二節





諸商売と諸職人 827








村の諸職人と諸商売 827









さまざまな稼ぎ









宿場と街道筋の商売









他国・他領から来る職人・商人








諸商売と酒造業 833









水車と穀商売









村の造り酒屋









揚げ酒屋

第十章






文化と教育 838


第一節





俳諧のひろがり 838








雑俳 838









信濃の初期俳諧









雑俳―庶民文化の開拓








蕉風俳諧と加舎白雄 839









芭蕉俳諧の導入―鳥酔の感化









加舎白雄の影響









高桑闌更の来遊と白雄の対立








宮本虎杖とその門流 842









白雄と虎杖









常世田長翠の戸倉仮寓









虎杖の編著









虎杖と一茶









倉田葛三の虎杖庵嗣号









虎杖の門人たち








虎杖庵の後継と幕末俳諧 847









宮本舟山の活躍









虎杖庵の後継者









幕末の俳人


第二節





心学と寺子屋 850








心学 850









幕府代官や松代藩の庶民教化策









信州心学の祖中村習輔








寺子屋 854









広がる寺子屋









戸倉の寺子屋









寺子と師匠

第十一章






幕藩支配の動揺と村 862


第一節





幕政と藩政改革 862








中之条代官所の寛政改革 862









代官・手代の総入れ替え









中之条代官所の政治刷新









中之条代官所の公金貸付








組合村と郡中取締役 867









組合村の結成と郡中代









郡中取締役と信濃国悪党取締出役制








天保改革の実施 873









老中水野忠邦の登場









改革と幕府領農民









中之条代官所の改革









真田幸貫の改革


第二節





黒船来航と村人 880








黒船来航と江戸湾警備 880









黒船来航と松代藩









江戸湾警備と夫役








開港と松代藩産物会所 883









神奈川開港と世情









貿易開始と産物会所の改編


第三節





幕末の動乱 889








幕末の世情と街道 889









嘉永山中騒動と戸倉









和宮通行と農民の負担









水戸浪士軍の信濃路通過








幕藩関係と民衆 895









松代藩京都警備と夫役









長州征伐と御用達金









「御一新」と戸倉
章節目次