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更埴市史 第二巻 近世編
出版:1988年/出版元:更埴市/編集者:更埴市史編纂委員会
章節目次
概観







概観 1
第一章







幕藩制の成立 5

第一節






近世初期の領知の変遷 7








森忠政と北信濃 7








忠政の北信濃入封








稲荷山村の右近検地








松平忠輝の北信濃入封 10








忠輝と大久保長安








忠輝の越後入封と花井吉成








松平忠昌の松城入封 13








忠輝の改易と北信濃各藩の成立








松平忠昌の松代入封と近世松代藩の成立








酒井忠勝と松城入封 14








忠勝と川中島知行目録








酒井忠勝の施政

第二節






松代・八幡宮・上田各私領と幕府領の成立 16








真田松代藩領の成立 16








真田氏の動向








真田氏の松代入封








八幡宮領の成立 21








近世八幡宮領の成立








更埴市域のその他の寺社領








上田藩領 24








上田藩飛領地の成立








仙石氏から上田松平氏へ








幕府領 25








幕府領から高田飛領地へ








坂木板倉領から再び幕府領へ
第二章







幕藩政治の展開 29

第一節






松代藩政の展開 31








藩主真田氏とその家臣 31








歴代藩主と藩政








真田家臣団の構成








知行取家臣








蔵前取家臣








松代藩統治のしくみ 40








統治組織とその変遷








代官・手代と農民統治








行政区画








延宝四年の御触と領民 47








条目・御触と農民








御仕置御規定








殿様御境廻りと御巡見








真田家の喪と領民 53








幸専の死と領民








尾張大納言の死去と松代藩領民








人詰改と宗門改 54








人詰改








宗門改








五人組改








寛文検地と寛文以降の検地 65








寛文六年の指出検地








寛文以降の検地








検地の実際と掟








田畑の質入と売買








蔵入地の財政収支 72








蔵入地の年貢収支








年貢の割付








知行所の貢租








検見

第二節






八幡宮領と大英寺領 88








八幡宮神主・別当と領民 88








神主領と別当領








宗門人別改と五人組改








八幡宮領検地と貢租 91








寛文と安永検地








本口籾と小作籾








松代藩政と八幡宮領 95








松代藩支配三ヵ所








大英寺領 96








朱印地百石と貢租

第三節






上田藩の概要 98








上田藩飛領地の成立 98








上田藩飛領地成立以前の動向








上杉景勝会津転封後の更埴








稲荷山村の検地と農民支配機構








村指出帳にみる村の実態








上田藩領後期の稲荷山 107








上田藩川中島飛領地へ復帰








村の財政








農間稼ぎと稼業改








稲荷山宿と伊能忠敬

第四節






越後高田領より幕府領へ 114








高田藩坂木飛領地の成立 114








坂木飛領地の成立と領地








幕府領への編入 115








坂木幕府領の成立と支配機構








代官の領地統治の実態








幕府領の農村支配機構








検地と農民の所持地








村明細帳にみる農村の実態








農民の年貢負担と割付








村の財政
第三章







近世村落と村民 129

第一節






近世村落の形成 131








近世村落の成りたち 131








村切りと村高の決定








上田藩領・幕府領・松代藩領に分断された村むら

第二節






村落と村民 137








上田藩領の村 137








稲荷山村








幕府領の村むら 140








寂蒔村








鋳物師屋村








打沢村








新田村








桜堂村








小島村








杭瀬下村








松代藩領の村むら 168








桑原村








八幡村








向八幡村








粟佐村








矢代村








森村








倉科村








雨宮村








生萱村








土口村

第三節






近世村落のしくみ 195








村方三役人の成立 195








肝煎から名主へ








村方三役へ








頭立と小前惣代








村落の農民構成 199








本百姓と非本百姓








農民の階層分化
第四章







宿駅制と交通 205

第一節






街道と宿 207








北国街道と北国西街道 207








北国街道








北国西街道








矢代宿 210








矢代宿の成立と構成








本陣と脇本陣








伝馬と駄賃








矢代宿の伝馬勤め








矢代宿の駄賃








大名の通行と佐渡金銀の輸送








稲荷山宿 226








稲荷山宿の成立








宿の構成と本陣・問屋








稲荷山宿の伝馬と運営

第二節






間の宿・口留番所・船渡 232








間の宿 232








桑原宿








寂蒔宿








口留番所 241








桑原と大田原の口留番所








口留番所の任務と普請








船渡 244








矢代船渡








杭瀬下と向八幡の船渡








舟賃








舟賃籾の負担








新船造り

第三節






助郷と宿の出入 250








助郷 250








矢代宿助郷








坂木・戸倉宿助郷








稲荷山宿助郷








中山道助郷








宿出入 257








矢代宿内の客引き出入り








稲荷山宿と桑原・篠ノ井宿との旅籠屋出入り

第四節






中馬と通船 260








中馬 260








更埴市域の中馬








明和裁許と中馬の数








宿場との争い・中馬同士の争い








通船 266








千曲川通船








犀川通船

第五節






街道・宿の状況と旅 270








街道・宿の状況 270








輸送の増加と飛脚業








矢代宿のようす








稲荷山宿のようす








猿ヶ馬場峠と田原坂








277








神社・寺院参りの旅








道中記を見る








伊勢参宮と中条唯七郎の旅
第五章







用水堰と溜池 285

第一節






矢代用水堰の成立と移りかわり 287








矢代用水堰の成立 287








口碑から史実へ








矢代用水堰の初期 287








一八ヵ村・高一万石余の用水








沢山入会地と矢代用水堰の争論








矢代用水堰の移りかわり 290








重ヶ渕にかかわる争論








寛保二年戌の大満水








寂蒔村地内へ仮堰設立








用水取入口の変更








矢代仮堰の成立








徳間・内川取入口仮堰を本堰に








内川村が堰組合に再び加わる








幕府領七ヵ村へ取入口設置願い








幕府領七ヵ村と徳間村の争い








古寺前水門破損








伊勢宮樋








森・倉科新用水堰分水設立








地蔵堂前控樋と船山水門 309








地蔵堂前控樋








船山水門








用水費負担についての対立 311








天保三~四年の争い








訴訟にかかった費用








その他の用水管理 316








用水にかかわる諸取りきめ








矢代用水の堰守








堰守の仕事








用水普請小屋








用水の堰慣行








堰の修繕と費用

第二節






森・倉科用水 324








森村の堤成立 324








岡森の古堤と中村の堤








倉科村の用水堰 325








せせなぎ堰

第三節






稲荷山・塩崎用水 327








稲荷山・塩崎用水路できる 327








稲荷山・塩崎用水堰の成立








稲荷山・塩崎両村との借地規定








用水出入 329








用水にかかわる争い

第四節






三ヵ村用水(若宮用水) 332








三ヵ村用水と代組 332








三ヵ村用水の用水確保の苦心








三ヵ村用水の運営 333








用水堰の規定








用水費用の負担

第五節






大池用水 336








大池用水のうつりかわり 336








大池用水と新田開発








大池の外池と下池








文久年間の大池用水の利用状況








新田開発








大池新田村の開発








棚田の名所








大池の普請と運営 341








大池の普請








大池用水に関する規定








羽根尾村出作人との争い

第六節






溜池 345








桑原村の溜池 345








沓打平溜池の築造








遠見塚池の築造








大田原村の用水と溜池 348








大田原用水堤の築造








八幡三ヵ村の溜池 349








猿飛池の普請








八幡村「下池」の普請








梨子久保新池の普請








郡村「前池」の開発








稲荷山村の溜池 353








治田池と釜蓋溜井の築造








倉科村の溜池 354








溜池の築造

第七節






水車稼ぎ 355








松代藩領の水車稼ぎ 355








矢代村・粟佐村の水車稼ぎ








森村・倉科村の水車稼ぎ








千曲川左岸の水車稼ぎ








幕府領の水車稼ぎ 359








打沢村の水車稼ぎ








杭瀬下・新田村の水車稼ぎ








寂蒔村の水車稼ぎ








上田藩領の水車稼ぎ 360








稲荷山村の水車稼ぎ
第六章







千曲川の水害と諸災害 363

第一節






千曲川と災害 365








洪水による被害 365








更埴市域は洪水の常襲地帯








洪水の被害と水害後の不作








寛保二年戌の満水








安政六年の洪水と矢代村の被害








佐野川のはん濫とその被害

第二節






水害対策と普請 378








国役普請 378








国役普請の上納金割当








国役普請の実際








郡役普請 381








郡役普請の実際








自普請 383








松代藩領村々の自普請








上田藩領稲荷山村の自普請

第三節






村境争論 387








千曲川をめぐる争い








稲荷山村と杭瀬下村・新田村の村境争い 387








元禄五年用水をめぐる問題








安政三~四年の境界争い








粟佐村と塩崎村の千曲川村境争い 392








天保以前の村境争い








粟佐村と塩崎村の和談成立








文政六年十一月千曲川地境論争








塩崎村と矢代村・粟佐村・上横田村との千曲川村境争い 395








訴訟の内容とその経過








天保三年地境杭打ち








矢代村と塩崎村の村境規定








粟佐村と塩崎村の村境示談








八幡村代組と須坂村の村境争い 398








藩役人による訴訟裁許

第四節






田畑の不作 399








不作の実態 399








旱魃による被害と雨乞い








長雨や虫喰いの被害








不作のための農民救済








不作対策 402








貯穀による村民救済








社倉取建の触れが出る

第五節






飢饉とその対策 406








享保の飢饉と対策 406








飢饉のあらまし








気候不順による飢饉








囲米・囲籾








天明の飢饉と対策 410








冷害による飢饉








苦しい農民のくらし








潰れ百姓








御救米と拝借金








倹約を強いる








天保の飢饉と対策 416








気候不順による凶作








天保七年の大凶作








物価高騰








飢饉対策








貯穀・囲穀(籾)








拝借米と下げ穀








穀物の融通








拝借米積み戻し日延べ








お粥を村人に施す








倹約を強いられる

第六節






地震による災害 429








地震災害の概要 429








更埴近辺の地震








弘化四年の大地震 429








善光寺地震おきる








地震で家々潰れ後火災








洪水の被害








松代藩領内の地震の被害








地震止むことなく続く








弘化地震の被害と救援 437








稲荷山宿の被害








上田藩の稲荷山宿救済








八幡村の被害








桑原村の被害








矢代村の被害








雨宮・土口・生萱村の被害








森村の被害








倉科村の被害








向八幡村の被害








幕府領七ヵ村の被害








被災者の救済








奇特な者への褒賞

第七節






火災による災害 450








八幡宮(武水別神社)の火災 450








文化七年の火災








火災後のしまつ








天保十三年の火災








火災後のしまつ








公儀への報告と吟味








仮普請はじまる








御遷座の大行列








奇特な人々








更埴市域の主なる火災 457








矢代村の火災








稲荷山村の火災








杭瀬下村の火災
第七章







産業と経済 461

第一節






林野 463








入会山と山論 463








近世の山林と林野








田原山をめぐる出入








横手山をめぐる出入








横手山入会の取決め








沢山入会








冠着山・猿ヶ馬場峠等の山論








大池山(芝山)と峯山入会








御林 477








八幡御林








倉科御林








田原山・横手山御林








林野の開発 481








沢山開発








芝山などの開発








笩下げ

第二節






諸産業 489








489








八幡市








稲荷山市と楮市








養蚕業 491








信濃国の養蚕








養蚕業の始まりと切桑








杭瀬下村の桑苗生産








養蚕業の発展








蚕種と蚕種商








登せ糸(生糸)








農業 502








農業形態の変化








宝永差出帳、村明細帳にみる農業








主な産物の取れ高








田植えの時期








杏栽培の始まり








杏仁・杏干








杏の販売と藩の政策








牛馬数








酒造業 519








酒造株と酒造高








酒造仲間








揚酒屋・振売人








諸商売・諸職人と物資の流通 526








町や村の諸商売








ふえる職人








他国・他領よりの職人








瓦屋根と瓦焼き








漁業・漁師








諸物資の流通








流通の多様化
第八章







幕藩体制の動揺と崩壊 545

第一節






天保期の社会情勢 547








天保期の特色 547








文政のおかげ参り








天保期の特色








更埴市域の動向 548








天保期以後の更埴市域








松代藩の村政








藩から村に出された法令








検地と農民の土地所有








上田藩稲荷山村の村政








農民の土地所持高と貢租








幕府領の村役人








村役人の選出と農民所持地








農業生産と年貢の負担








天保改革と更埴市域の動き 560








天保改革と諸政策








更埴市域の動向








稲荷山村の小前騒動








改革に対する為政者の対応

第二節






開国と農村社会の変化 569








開国と幕府政治 569








ペリーの来航と幕政の転換








松代藩の藩政








改革と農村








開国前後の社会の動き








強まる統制 576








くり返して出される法令








新たに税負担が増加する








自立しはじめる農民 582








一地主の記録にみる農村

第三節






幕府の崩壊と社会情勢 585








幕末の政治情勢 585








禁門の変から幕府の解体へ








幕府の崩壊と更埴市域 586








和宮降嫁と更埴市域の動き








京都御所の警衛へ








維新への動きと内乱 592








戊辰(飯山・奥羽北越)戦争と更埴市域の動向
第九章







神社・仏閣 597

第一節






武水別神社と神宮寺 599








武水別神社の概要 599








祭られている神々








江戸時代延宝ごろの八幡宮








天保年間の祭典行事








現在の祭典








武水別神社の大頭祭 605








大頭祭の概略








一単位祭の次第








神納銭からみた大頭祭








大頭祭への祝儀








御頭帳








頭役決定をめぐる出入








武水別神社の再建 614








八幡宮再建への陳情と勧化








立川和四郎の本殿建築








別当と神主 619








棟札に関する別当と神主の出入








神仏分離








神宮寺の創設 621








八幡宮神宮寺のはじまり








八幡別当の任命








袈裟衣の許可








神宮寺の構成 623








神宮寺の末門寺








神宮寺の役僧








神宮寺の八幡宮奉仕








神宮寺と真田藩の関係








武水別神社号をめぐる負担金 625








廃仏毀釈による神宮寺の廃止 626

第二節






雨宮坐日吉神社 630








雨宮坐日吉神社の概要 630








祭られている神々とその立地








安永年間の神社のようす








雨宮坐日吉神社の御神事 631








御神事の意義








御神事の概要








御神事をめぐる出入








幕末から明治初期の御神事

第三節






須々岐水神社 637








須々岐水神社の概要 637








「屋代村誌」からみた須々岐水神社








天保年間の神社の年中行事








須々岐水神社の祭事 639








須々岐水神社一つ物の概要








神輿唐崎渡御及び一つ物の行列








唐崎渡御のようす








山王祭礼の礼式








須々岐水神社の火災と再建 643








須々岐水神社の火災








立川和四郎への再建依頼








須々岐水神社再建の費用

第四節






治田神社 646








治田神社の概要 646








町誌からみた治田神社








天命年間の治田神社








社号允可をめぐる動き 648








社号申請の願書提出








社号申請願書に対するやりとり

第五節






その他の神社 650








神社について 650








氏神・鎮守・産土神








祭神と神社の統合








元禄年間の更埴市域の堂宮








宝暦年間の更埴市域の神社








千曲川右岸の神社 660








土口村の神社








雨宮村の神社








生萱村の神社








倉科村の神社








森村の神社








矢代村の神社








東船山村の神社








西船山村の神社








向八幡村の神社








千曲川左岸の神社 669








稲荷山村の神社








桑原村の神社








八幡村の神社

第六節






千曲川右岸の寺院 672








土口村の寺院 672








正応寺








雨宮村の寺院 673








法輪寺








正法寺








生萱村の寺院 674








観音寺








蓮華寺








倉科村の寺院 674








清涼院








本覺寺








森村の寺院 676








興正寺








禅透院








華厳寺








観龍寺








念仏寺








矢代村の寺院 678








法華寺








智照院








生蓮寺








粟佐村の寺院 679








永代寺








小島・寂蒔・鋳物師屋村の寺院 679








満照寺








永昌寺








長福寺








杭瀬下・新田両村の寺院 681








勝徳寺








徳念寺








泰峯寺








中村の寺院 682








徳応院

第七節






千曲川左岸の寺院 683








稲荷山村の寺院 683








長雲寺








極楽寺








桑原村の寺院 684








龍洞院








長福寺








佐野薬師








浄光庵








廃寺跡








八幡村の寺院 687








大雲寺








仙福寺








青松寺








高円寺








開眼寺








清浄院








長楽寺
第十章







学問と文化 691

第一節






学問の庶民化 693








藩や代官所の教化政策 693








支配者の教化施策と庶民文化








教諭書と五人組帳前書








松代藩と心学








代官の教諭書








心学者の教化活動 696








心学の先駆者








心学講舎恭安社の社友








心学のひろまりと講舎の設立








道話聴聞会








「口教」と講義内容








寺子屋教育の普及 708








寺子屋の創設








寺子の入門








手習本と往来物








寺子の生活と行事








家塾・寺子屋

第二節






文化のひろがりと特色 714








姨捨の石碑群 714








姨捨山と俳諧








句碑の建立と由来








更埴の俳諧 732








芭蕉句碑








俳諧のひろがり








路因・吐〓の活躍








俳諧の黄金期








句会・献額








白雄門下の俳人たち 739








白雄の影響








矢代への交遊








芸能と宗匠群 742








書道の普及








絵画の普及








謡曲








華道








『見聞集録』にみられる庶民文化 744








中条唯七郎の生いたち








「見聞集録」にみられる文化のひろがり

第三節






おもな文化人 747








成俊碑と飯島淳子 747








万葉集研究への情熱








成俊碑の碑文








郷土史家柿崎多膳 749








柿崎多膳の遺業








言流舎と小林迎祥 751








放浪の文化人








迎祥の遺業
章節目次

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