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更埴市史 第一巻 古代・中世編
出版:1994年/出版元:更埴市/編集者:更埴市史編纂委員会
章節目次
第一編







更埴の風土

第一章






ふるさとの大地 3


第一節





肥沃な平野 3








北に開ける沖積平野 3








山地を貫いて流れる千曲川








長野盆地南部をしめる市域








網状の微凹地と微高地








盆地南部の自然堤防と後背湿地








流れ豊かな千曲川 16








大きく屈曲する千曲の流路








豊かな水の利用と問題


第二節





変化に富む山地 26








傾斜のゆるやかな山麓 26








佐野川扇状地と崖錐








沢山川・三滝川の扇状地と崖錐








東西で異なる山地の地形 28








山地の地形と交通路








起伏の大きい東部山地








緩斜面の多い西部山地








姨捨土石流と棚田景観








山地の石と河川の利用 38








急流で短い市域の河川








佐野川の利用と鉱毒水の問題








各地で使われた石材


第三節





気候に恵まれたふるさと 44








内陸性の気候 44








寒暑の差が大きい気候








降水量が少ない気候








気候と生活 47








さまざまな風が吹く市域








生活の中で生れた天気俚言








雷の発生とひょうくわばらくわばら

第二章






ふるさとの植物 53


第一節





更埴市域の植物の概況 53








植物分布の概要 53








植物の宝庫更埴市域








昭和天皇と大池平








庭に見られる植物 55


第二節





生活と植物 61








年中行事と植物 61








春の七草








どんど焼








節分








やしょうま








ひな祭り








端午の節句








茅の輪








七夕








お盆








お月見








冬至








しめ飾り








大晦日








山菜の利用 69








薬用植物と有毒植物 76








薬用植物








有毒植物


第三節





特筆したい樹林・樹木 92








天然記念物 92








武水別神社社叢








更埴市指定保存樹木 93








昭和五十一年度指定保存樹木








地域で記録に残したい樹木 96








埴生・屋代地区








森・倉科・雨宮地区








川西地区


第四節





更埴市域に見られるおもな植物目録 112








木本植物 112








野草 116








帰化植物 124
第二編







考古

第一章






旧石器時代の狩人の生活 129


第一節





旧石器人と自然 129








ヒトの発生








ヒトと氷河時代








狩人と生産








過渡期の工夫








転換期を迎えて








ヒトの群れと回廊


第二節





高原を舞台に 137








最初の痕跡


第三節





沖積地に近づく狩人 140








崖錐の中にも

第二章






縄文人の生活 143


第一節





縄文人と自然 143








完新生の開幕








縄文化現象








冷涼化の反応








温帯の縄文カレンダー


第二節





高地の漂泊民たち 147








草創期・過渡期の人びと








大田原高地の痕跡








縄文早期の漂泊民








生産用具は








小遺跡の点在








西山山塊の遺跡








東山山塊の遺跡








条痕文土器と人びと








前期の変動


第三節





高地から台地へ 159








尖底縄文多用の土器








平底の縄文多用の土器








深鉢形土器単一の終焉へ








土器セット文化のはじまり








三角陰刻文の土器


第四節





台地の生産と人びと 167








縄文中期人の軌跡







山麓台地型の文化








縄文中期農耕論から








少ない更埴の縄文中期文化


第五節





沖積地を舞台の縄文後晩期人 175








生産様態の転換








異なる土器組成








遺跡の立地








新しい生産手段








更埴市域の後期遺跡








縄文後期の集落








山脚部の遺跡








縄文晩期の土器








縄文文化の終焉








市域の縄文終焉








稲作が縄文を解体

第三章






科野国形成期の農耕社会 195


第一節





水稲農耕への転換 195








研究史の中から








弥生時代の開始








弥生石器の系譜








善光寺平の受容








更埴市域の痕跡


第二節





農耕の在地化とムラの拡大 201








千曲川水系文化の成立







水稲農耕の定着








弥生時代土器のかたち








後漢書・魏書のころ








中期の農耕社会








更埴市域の墳墓








更埴市域の中期遺跡








右岸域新調査








弥生中葉の石器群








在地化と拡大


第三節





シナノの成立とその文化 223








弥生後期の核地域







シナノの概念








弥生中期から後期へ








吉田期を欠く地域








弥生後期二つの分布圏








更埴市域の後期遺跡








弥生後期の右岸域








弥生後期の左岸域








弥生期の生産遺跡








弥生期の墳墓址








弥生後期の核地域


第四節





弥生文化の解体 266








在地文化の変容








住居址プランは








墳墓址の立地








土器群の変容








終焉と出発

第四章






森将軍塚古墳と科野国 272


第一節





森将軍塚古墳とその時代 272








畿内型墳への道








森将軍塚古墳の前夜








森将軍塚古墳と呼称








森将軍塚古墳のあゆみ








森将軍塚古墳調査のあらまし








森将軍塚古墳の位置








埴輪の系譜








群集する小型埋葬施設








南縁部域の巨大古墳








首長墳墓の変遷と背景








森将軍塚古墳のそのあと


第二節





生産と農民層の生活 309








生産と集落








遺跡群との対応








更埴市域の遺跡








非在地系土器の去就








東国支配の確立へ








市域の前半期の集落遺跡

第五章






群集墳の築造 336


第一節





支配の構造化と群集墳 336








竪穴式石室から横穴式石室へ








群集墳の時代








更埴市域の群集墳








古墳群と古墳支群








市域右岸の古墳群








市域左岸の古墳群








更埴市域の古墳をめぐって


第二節





集落と生産 373








六区域二三群の集落址
第三篇







古代

第一章






古代のあらまし 389


第一節





古代の時代区分 389








律令制の成立まで








律令制の成立








律令制の崩壊と庄園の成立


第二節





大化前代の地方支配 394








地域の首長による支配 394








小国家の首長








氏姓制度を柱に








地方行政の単位 395








県制の先行


第三節





大化改新のもたらしたもの 396








大化改新








改新と地方


第四節





律令国郡制の整備 398








国郡制の成立 398


























国司と郡司

第二章






更級郡・埴科郡の成立 400


第一節





信濃国のおこり 400








シナノの国名の変遷








信濃国の成立








信濃国の範囲


第二節





更級郡・埴科郡のおこり 402








更級・埴科の郡名と範囲 402








再びシナ地名








更埴両郡の範囲のあらまし








更埴市域の郷








倭名抄を読む


第三節





更埴地方支配体制の進展 409








国造、県主の支配 409








古墳の意味








大化改新とそれ以後の更埴地方 410








令制下の政治機構








国府および更級・埴科郡衙 410








信濃国府の位置








更級・埴科郡衙の位置


第四節





東山道の支道と駅 413








東山道の支道 413








東山道の支道








令制の支道と更埴


第五節





更埴地方の条里遺構 416








千曲川右岸域の条里 416








条里地割について








右岸域の更埴条里








千曲川左岸域の条里 418








左岸域の条里的地割


第六節





租税のしくみ 421








租の基本








庸と調








雑徭と運脚








延喜式の調・庸と中男作物


第七節





古代の氏族 425








神人部








小長谷部








建部








金刺氏


第八節





神社と寺院 428








『延喜式神名帳』登載の神社 428








武水別神社








治田神社








粟狭神社








祝神社








更埴の定額寺 433








定額寺の性格








定額寺の寺田








定額屋代寺








定額安養寺








更埴市域の定額寺として


第九節





古代の文学と文化財 437








文学 437








万葉集








姨捨山の伝説 439








姨捨山の初見








姨捨伝説の原風景








小長谷部笠麿と建部大垣








姨捨山と月の歌枕








古代の文化財 443








古代の彫刻








観竜寺千手観音坐像








観竜寺十一面観音菩薩立像








西敬寺木造伝聖徳太子立像

第三章






奈良・平安時代のくらし 447


第一節





画期と更埴 447








新しい秩序へ








氏寺の造営へ








画期の現象


第二節





更埴地方官衙の位置 451








官衙の規模








更埴官衙と位置








更埴市域の建物址群


第三節





更埴条里的遺構 465








条里遺跡について








仁和四年の大洪水








更埴条里のあらまし


第四節





市域の古代集落遺跡 473








善光寺平南部の土器変遷








時間軸を縦にとり








時間軸を横にとり








左岸域の集落遺跡








右岸域の集落遺跡








集落遺跡と郷里


第五節





須恵器の生産 522








須恵器生産の拡散








市域の窯址


第六節





鉄の生産 527








供給鉄と自給鉄








市域の鉄関係遺跡


第七節





古代の信仰関係遺跡 530








お宮とお寺








墳墓の形とそのあり方








家畜の埋葬








更埴地域の経塚








おばすて山と経塚群


第八節





善光寺平南部の古代原風景 552








万葉集のやまとうた








更埴市域の古代遺跡群








旧体制の崩壊と新編成
第四編







中世

第一章






庄園と武士の起こり 561


第一節





庄園発生の経過 561








庄園の発生 561








庄園発生の推移








墾田の奨励








庄園の組織 562








庄園の主








寄進地系庄園と出先機関


第二節





更埴市域の庄園と国衙領 563








更埴市域の庄園 563








倉科庄








加納屋代四ヵ村








小谷庄








更埴市域の国衙領 569








船山郷


第三節





武士の発生と村上氏 571








武士の発生と村上氏の来住 571








武士の発生








村上氏の来住








保元・平治の乱と村上氏 572








保元・平治の乱








村上氏の分派

第二章






源氏の興起 574


第一節





以仁王の令旨と源氏の挙兵 574








源行家の令旨伝達と源頼朝の挙兵 574








以仁王の令旨








頼朝の挙兵


第二節





木曽義仲の挙兵 575








木曽義仲の生い立ちと挙兵 575








義仲の生い立ち








義仲の挙兵








城資職の信濃進攻 577








資職の信濃進出








義仲と八幡宮








横田河原の戦い 580








戦いの様子








資職の敗北








木曽義仲の上洛と村上一族 582








義仲軍の上洛








京都警衛と村上氏








義仲の法住寺攻めと村上氏

第三章






鎌倉幕府治下の更埴 585


第一節





源頼朝の幕府政治 585








守護地頭の設置と御家人制度 585








守護地頭の設置








御家人制度


第二節





北条氏の専断と承久の変 587








北条時政の専横と比企氏の滅亡 587








北条時政の専横








比企氏の滅亡








泉親衡事件と和田義盛の滅亡 588








泉親衡事件








和田義盛の滅亡








承久の変と信濃諸士の動向 589








後鳥羽上皇の反幕府対策








承久の変の勃発と信濃諸士








承久の変の戦後処理


第三節





村上一族と鎌倉幕府 591








源氏三代と村上一族 591








『吾妻鏡』にみえる村上一族








村上一族の失意 592








村上氏の勢力後退








村上氏と村上御厨








屋代氏の発生と苗字の地 594








屋代氏系図








苗字の地屋代


第四節





鎌倉時代の更埴 595








船山郷と北条氏 595








地頭北条普恩寺入道








地頭諏訪時光








諏訪社造宮役と更埴 596








諏訪社造宮役








諏訪社と更埴地方

第四章






建武新政とその後 599


第一節





親政政治の始動 599








鎌倉幕府の滅亡 599








後醍醐天皇と正中の変








元弘の変








幕府の滅亡








後醍醐天皇による親政政治 600








光厳天皇から後醍醐へ








親政政治の組織








船山守護所の設置 602








守護小笠原貞信








船山守護所








守護所の位置








倉科庄下地をめぐる紛争 603








雑訴決断所の裁決








如意寺








新守護の北条党制圧 604








北条党の蜂起


第二節





中興政治の挫折 606








北条時行信濃挙兵と足利尊氏の叛 606








北条時行中先代の乱








護良親王と足利尊氏








足利尊氏の謀叛








北条時行党の守護所攻略 608








守護所攻略








北条残党の蜂起

第五章






室町幕府の成立 612


第一節





足利尊氏の謀叛 612








後醍醐天皇の足利尊氏追討 612








村上信貞の奮戦








尊氏の敗戦








足利尊氏の反撃と幕府の創設 612








尊氏の反撃








幕府の開設


第二節





尊氏党村上信貞の活躍 614








清滝城攻撃 614








信貞の清滝城攻略








「市河文書」にみる清滝城攻撃








村上信貞の牧城攻め 615








第一回牧城攻撃








第二回の攻撃








村上信貞の北越出兵 618








信貞の北越出兵








信貞の金崎攻撃


第三節





南朝創設・尊氏党と直義党の争い 619








吉野朝廷の創設と足利尊氏・直義兄弟の不和 619








南朝の創設








直義の南朝帰順








直義の京都出奔








信濃国内の混乱と尊氏の南朝帰順








信濃国内における尊氏・直義両党の攻防 621








船山および放光寺の戦い








野辺原および富部河原の戦い


第四節





屋代氏の幕府勤仕 623








幕府弓始の射手 623








屋代氏の射手進出


第五節





中央集権と守護所 626








信濃国の守護 626








守護の改変








船山守護所の移転 627








移転の時期








移転の理由








村上頼国等国人と守護の対立 628








国人の諏訪神領の押領








国人の守護への反発

第六章






室町幕府の確立とそれ以後 630


第一節





南北朝の合一 630








南北朝の合一 630








南朝・北朝の合体








小笠原氏の勢力挽回 631








小笠原氏の守護復任








新守護と国人の対立


第二節





大塔合戦 633








小笠原長秀の入部と大文字一揆 633








長秀の善光寺入り








大文字党の態度








大塔合戦の原因と出陣の諸氏 633








大塔合戦の始まり








合戦参加の国人








更埴市域の出陣諸氏








大塔合戦の経過 636








四宮の戦い








大塔の籠城








長秀の没落


第三節





幕府料国時代の信濃 639








信濃国代官細川慈忠の入部と国人の反抗 639








信濃の幕府料国化








慈忠の入部と国人の反抗








料所船山郷の年貢問題 640








船山郷の年貢請負契約


第四節





小笠原氏の復権 642








小笠原長秀の春近領取得 642








大文字一揆の訴え








小笠原政康の船山郷領有 643








上杉禅秀の乱








政康の船山郷領有と守護補任


第五節





村上頼清と小笠原政康との争戦 645








村上頼清と小笠原政康との領界争い 645








足利持氏の不満








村上頼清の足利持氏への救援依頼 645








村上氏の救援問題








村上頼清の幕府への降参 646








頼清への救援不調


第六節





結城合戦と国人 647








足利持氏の叛 647








永享の乱








結城合戦 648








結城合戦と国人








参戦の信濃侍

第七章






室町末期の更埴中部 650


第一節





地方豪族の自立自衛策 650








村上政清の勢力伸展 650








享徳の大乱








政清の勢力伸長








地方土豪の自衛と山城 651








屋代氏と桑原氏








文献にみる更埴市域の山城








更埴市域の城跡 653








屋代城








鞍骨城








鷲尾城








生仁館跡








唐崎山城








稲荷山城








佐野(山)城








龍王城








小坂城


第二節





地方豪族の寺院の創建と中興 664








千曲川東の寺院 664








満照寺の開創








興正寺の中興と移転








禅透院の開創








法華寺








千曲川西の寺院 668








高円寺








大雲寺








龍洞院








長福寺の開創








長雲寺

第八章






戦国時代 672


第一節





武田氏の信濃経略と村上氏の没落 672








武田氏の信濃経略 672








信虎の信濃進攻








信虎と義清の同盟








晴信の諏訪・佐久の進攻








村上義清の没落 675








上田原の戦い








義清の反撃と晴信の対策








真田幸隆の臣属と晴信の小田原攻略








武田軍の戸石崩れ








戸石落城








葛尾自落


第二節





屋代氏の武田家従属 679








屋代一族の武田臣属 679








村上家臣の武田臣属








塩田落城 679








葛尾奪回と義清の塩田入城








義清の越後亡命と真田氏の雨飾攻め








政国の新砥領有


第三節





川中島の戦い 681








更級郡布施・八幡の戦い 681








布施・八幡の戦い








麻績方面・坂木南条の戦い








川中島の対陣 683








川中島の戦い








両軍の大塚・横山の対陣








今川義元の調停








武田晴信の犀川以北攻略 685








晴信の葛山衆調略








長尾景虎の八幡宮への願文








晴信の葛山城急襲








景虎の反撃








川中島の大合戦 687








晴信の越後侵入と景虎の動向








海津築城








上杉政虎の西条山張陣








信玄の陣所








上杉輝虎の八幡宮祈願 691








信玄・輝虎の信越国境攻防








八幡宮願文








武田信玄の病死と武田氏の滅亡 692








信玄の病死








武田氏の滅亡

第九章






織豊時代 694


第一節





武田氏滅亡後の更埴 694








織田信長の将 森長可の強圧 694








長可の四郡知行と一揆の鎮圧








信長の急死と長可の上洛








上杉景勝の鎮定 695








北信濃進出の謀略








北条氏直の退陣








北信四郡の鎮定








旧領安堵と条目の制定


第二節





屋代秀正の越後忠勤と謀叛 699








上杉景勝への勤仕 699








秀正の処遇








家康への接近








景勝への忠勤








景勝の麻績城攻略と秀正の奮戦








屋代秀正の謀叛 704








秀正の海津城退去








景勝の秀正討伐








村上景国の海津城代罷免








秀正の抗戦


第三節





稲荷山築城 710








上杉景勝の稲荷山築城と仁科盛直の服属 710








景勝の稲荷山城築城








上條宜順と稲荷山城








小笠原貞慶軍との攻防








盛直の景勝への服属








真田昌幸の動向と屋代氏 715








昌幸の景勝への再服属








昌幸・家康の国分寺の戦いと屋代氏


第四節





上杉景勝の移封と田丸氏の入部 717








上杉景勝の会津移封 717








景勝支配時代の更埴








景勝の会津への国替え








信濃武士の会津移住








田丸直昌の松代入部 719








直昌の支配

第十章






中世の文化と文化財 721


第一節





鎌倉時代の文化 721








浄土教の浸透 721








極楽寺と記主禅師








倉科本誓寺の創始








善光寺再建と用材寄進








善光寺飛柱記








鎌倉時代の文化財 727








桑原旧長福寺地蔵菩薩立像








武水別神社八幡宮の伎楽面








武水別神社八幡宮の獅子頭








妙音寺十一面観音菩薩立像








永代寺聖観音菩薩立像








観竜寺聖観音菩薩立像








禅透院釈迦如来坐像








本覚寺親鸞聖人立像


第二節





室町時代以降の文化財 733








建造物 733








武水別神社八幡宮摂社高良社本殿








彫刻 734








雨宮大日堂大日如来坐像








観竜寺観音二十八部衆








観竜寺不動明王立像








観竜寺毘沙門天立像








長福寺阿弥陀如来坐像








長雲寺愛染明王坐像








工芸品 738








銅製釣燈籠








金銅製釣燈籠








仏光円明禅師の念珠と袈裟








遺物 741








一重山山麓出土の遺物
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