章節 | 目次 | 頁 | ||||||||
序章 | 現代楢川村の概観 | 1 | ||||||||
第一節 | 地域の概観 | 3 | ||||||||
一 | 楢川村の地理的性格 | 3 | ||||||||
楢川村の位置 | ||||||||||
楢川村の三つの地勢 | ||||||||||
寒冷で多雨の楢川村 | ||||||||||
二 | 楢川村と周辺地域とのつながり | 15 | ||||||||
かつては尾張藩、戦後は広域行政 | ||||||||||
ふえつづける村外地域への通勤者 | ||||||||||
比重をます都市部での就業 | ||||||||||
就業さきは都市型産業だけでない | ||||||||||
村に就業しなくなった若い世代 | ||||||||||
松本盆地の水源地楢川村 | ||||||||||
三 | 楢川村の空間構成 | 27 | ||||||||
暮らしと集落の形態 | ||||||||||
典型的な高冷地の楢川村 | ||||||||||
集落と標高 | ||||||||||
楢川村の集落と地形 | ||||||||||
氾濫原上の集落 | ||||||||||
段丘上の集落 | ||||||||||
そのほかの地形 | ||||||||||
宿の集落 奈良井と贄川 | ||||||||||
奈良井宿周辺 橋戸沢付近 | ||||||||||
奈良井宿周辺 営林署土場付近 | ||||||||||
奈良井宿周辺 権兵衛橋および権兵衛駐車場 | ||||||||||
贄川宿の中心地域 | ||||||||||
地場産業の集落 平沢 | ||||||||||
宮下地区の変貌 | ||||||||||
平沢対岸の旭町の変貌 | ||||||||||
交通路をひかえた桜沢・片平・若神子・桃岡の集落 | ||||||||||
交通路にそう番所・〓・萱ヶ平集落 | ||||||||||
林業で生きてきた川入の集落と林業に「雇用される」人々 | ||||||||||
唯一の養魚場 | ||||||||||
農林業の不振とたたかい住民の去った桑崎集落 | ||||||||||
湖底に沈んだ曲淵・表塩水・奥塩水(上ノ原) | ||||||||||
川入地区の人口と世帯の変遷 | ||||||||||
第二節 | 楢川村の社会的概観 | 79 | ||||||||
一 | 村の人口の自然動態や社会動態など | 79 | ||||||||
村の人口と世帯 | ||||||||||
一世帯あたりの人口と性比 | ||||||||||
出生数と死亡数 | ||||||||||
転入数と転出数 | ||||||||||
婚姻件数と離婚件数 | ||||||||||
二 | 国勢調査からみた村の人口・世帯のうごき | 90 | ||||||||
現代の楢川村の人口と世帯 | ||||||||||
楢川村の性別年齢別人口構成 | ||||||||||
幼少人口・生産年齢人口および老齢人口 | ||||||||||
一五歳以上人口、未婚、有配偶など | ||||||||||
学歴別一五歳以上人口 | ||||||||||
一五歳以上人口の労働力状態 | ||||||||||
就業者の従業上の地位 | ||||||||||
就業者の職業別のうごき | ||||||||||
就業者の産業別のうごき | ||||||||||
世帯人員別世帯数および世帯人口 | ||||||||||
家族類型別普通世帯数 | ||||||||||
三 | 集落の人口・世帯のうごき | 119 | ||||||||
地区の人口と世帯 | ||||||||||
各集落の世帯数と人口 | ||||||||||
第一章 | 楢川村政の展開と県政・国政とのかかわり | 129 | ||||||||
第一節 | 村政の民主化と展開 | 131 | ||||||||
一 | 敗戦・戦後改革と村民生活の復興 | 131 | ||||||||
市川・宮原村政と政治改革 | ||||||||||
村民の復員と海外からの引き揚げ | ||||||||||
生活破壊と食糧対策・住宅事情 | ||||||||||
占領行政下のナトコ映画と農地改革 | ||||||||||
御料地の国有林への転換と村の産業 | ||||||||||
六三制教育の成立と『楢川村報』の発行 | ||||||||||
第二期宮原村政と村民生活の復興 | ||||||||||
宮原村政と第一次産業振興 | ||||||||||
二 | 福祉施策と広域行政・日中貿易のはじまり | 167 | ||||||||
中村村政の開始と重点施策 | ||||||||||
国民健康保険の再開と町村合併問題 | ||||||||||
敬老年金の創始と村の日中貿易 | ||||||||||
第二期中村村政と広域行政の開始 | ||||||||||
滝沢村政にみる産業振興策と広域行政 | ||||||||||
昭和四十年度の一〇大ニュースと村の過疎 | ||||||||||
第一期滝沢村政における仕上げ施策 | ||||||||||
第二期滝沢村政の展開 | ||||||||||
桑崎の集団移住と木曾漆器祭の開催 | ||||||||||
第三期滝沢村政と日中友好運動 | ||||||||||
三 | 文化行政の強化と村役場新築・奈良井ダム建設 | 204 | ||||||||
自然保護・文化財保護と保育園の村営化 | ||||||||||
第四期滝沢村政と村役場の新築 | ||||||||||
奈良井宿保存と第二次訪中団 | ||||||||||
四 | 村政の混乱・再建とあらたな展開 | 215 | ||||||||
滝沢村長の辞任と当選 | ||||||||||
手塚村政の発足と村役場のしくみ | ||||||||||
村長批判と村議会のうごき | ||||||||||
楢川村基本構想と村長不信任 | ||||||||||
百瀬村政の発足と経済の低成長 | ||||||||||
基本構想の具体化と諸施策 | ||||||||||
第二期百瀬村政と行政改革 | ||||||||||
楢川中学校の新築と村政百年にむけて | ||||||||||
平成への展開と村政の継続 | ||||||||||
第二節 | 楢川村議会の議員選挙と運営 | 260 | ||||||||
一 | 民主的村議会の成立・活動と常任委員会 | 260 | ||||||||
敗戦前後の村会のうごきと村会議員 | ||||||||||
かさなる追加更生予算と村会会議規則の制定 | ||||||||||
戦後初の村議会議員選挙と村民の生活 | ||||||||||
村民生活の復興と村議会の活動 | ||||||||||
産業振興方針と村議会の活動 | ||||||||||
『楢川村報』の再刊と村議会 | ||||||||||
第二回村議会議員選挙と村議会 | ||||||||||
二 | 議員の選挙と村議会活動の高揚 | 286 | ||||||||
第三回議会選挙と国民健康保険特別委員会 | ||||||||||
第四回選挙と村議会の展開 | ||||||||||
第五回選挙と村議会の運営 | ||||||||||
第六回議員選挙と桑崎移住、木曾郡への改称 | ||||||||||
第七回議員選挙と広域行政推進 | ||||||||||
第八回選挙と村役場の建設 | ||||||||||
村長の辞任・再選と第九回議員選挙 | ||||||||||
『ならかわ議会だより』の創刊と村長不信任可決 | ||||||||||
村議会の解散と第一〇回選挙 | ||||||||||
第一一回選挙と営林署の統廃合 | ||||||||||
第一二回選挙と立村百年 | ||||||||||
第一三回議員選挙と新村議会の発足 | ||||||||||
第三節 | 楢川村の財政 | 330 | ||||||||
一 | 楢川村財政のあらまし | 330 | ||||||||
村財政とは | ||||||||||
国・県の財政と村の財政 | ||||||||||
村財政の一般会計と特別会計 | ||||||||||
自主財源と依存財源 | ||||||||||
一般会計の歳入の概要 | ||||||||||
一般会計の歳出の概要 | ||||||||||
自主財源の村税と財産収入 | ||||||||||
村税の変遷 | ||||||||||
村財政の推移のあらまし | ||||||||||
二 | 戦後の改革と楢川村の財政 | 358 | ||||||||
戦後の新しい村財政の理念 | ||||||||||
歳入と歳出にあらわれたしくみの変化 | ||||||||||
財源確保に先行した制度改革 | ||||||||||
戦争の傷をいやすに手いっぱい | ||||||||||
教育費の負担しだいに重く | ||||||||||
災害との闘いであった川入林道の開設 | ||||||||||
地方財政法の成立 | ||||||||||
シャウプ勧告 | ||||||||||
三 | 復興期・財政再建期と楢川村の財政 | 378 | ||||||||
村決算額の膨張 | ||||||||||
村財政の苦境と再建 | ||||||||||
開田事業・国民健康保険と水道布設事業 | ||||||||||
教育費にみられる村の特徴 | ||||||||||
高度成長期への橋渡し三十五年度の特別事業 | ||||||||||
四 | 経済の高度成長と楢川村財政 | 385 | ||||||||
歳入の構成と変化 | ||||||||||
歳出の構成と変化 | ||||||||||
公債費 | ||||||||||
民主費・衛生費 | ||||||||||
産業経済費・商工費・農林水産業費 | ||||||||||
五 | 安定成長期の楢川村財政 | 392 | ||||||||
歳入の構成と変化 | ||||||||||
歳出の構成と変化 | ||||||||||
六 | 村の大規模事業と村債中心の財源 | 395 | ||||||||
起債の手続き | ||||||||||
起債はまず生活基盤の整備から | ||||||||||
村の主体性がみえた昭和四十一年ごろの起債 | ||||||||||
石油危機から曲がり角にきた財政運営 | ||||||||||
大規模事業をささえた奈良井ダム | ||||||||||
七 | 楢川村における特別会計の変遷 | 407 | ||||||||
継続する会計と閉鎖となる会計 | ||||||||||
繰入金が不可避の福祉事業 | ||||||||||
八 | 楢川村財政の特徴と課題 | 412 | ||||||||
大役はたした財産収入 | ||||||||||
県下初の売上税創設反対意見書 | ||||||||||
第四節 | 県政・国政の選挙と楢川村民 | 416 | ||||||||
一 | 知事の選挙と楢川村民 | 416 | ||||||||
県知事・県教育委員の選挙と県政・楢川村民 | ||||||||||
高度経済成長期以降の県知事選挙 | ||||||||||
二 | 県議会議員選挙と楢川村民 | 425 | ||||||||
西筑摩郡の県議会議員選挙と村民 | ||||||||||
木曾郡の県議会議員選挙と村民 | ||||||||||
三 | 国政選挙と楢川村民 | 429 | ||||||||
衆議院議員選挙と村民 | ||||||||||
参議院議員選挙と村民 | ||||||||||
第五節 | 楢川村と広域行政 | 440 | ||||||||
一 | 広域行政のはじまりとひろがり | 440 | ||||||||
高度経済成長と広域行政のはじまり | ||||||||||
国による広域市町村圏の振興構想 | ||||||||||
一部事務組合からはじまった木曾郡の広域行政 | ||||||||||
木曾広域市町村圏と楢川村 | ||||||||||
広域行政が有効にはたらいた村道改修 | ||||||||||
基盤整備に努力した木曾広域行政事務組合 | ||||||||||
一部事務組合の事業から総合的事業へ | ||||||||||
二 | 広域圏の単位での未来を展望する木曾広域市町村圏計画 | 453 | ||||||||
木曾地域広域市町村圏計画の策定 | ||||||||||
一部事務組合の事業と課題 | ||||||||||
三 | 木曾郡ぐるみの地域おこし | 458 | ||||||||
拡大する広域行政 | ||||||||||
広域圏におけるふるさと事業推進 | ||||||||||
第六節 | 奈良井ダムと村政 | 470 | ||||||||
一 | ダムのあらまし | 470 | ||||||||
ダムの目的 | ||||||||||
ロックフィル式ダムの構造 | ||||||||||
「松塩用水」とダム | ||||||||||
ダムと土地利用の変化 | ||||||||||
二 | ダムができるまで | 478 | ||||||||
はじめは発電にねらい | ||||||||||
木曾北部三か村が県に調査をうながす | ||||||||||
変化した目的と設計 | ||||||||||
水没地域の住民と財産 | ||||||||||
川入地区住民とダム | ||||||||||
奈良井地区とダム対策 | ||||||||||
村民の意見統一と村の将来構想 | ||||||||||
村にとってダムとはなにか | ||||||||||
村の要望がまとまる | ||||||||||
協定書の調印できる | ||||||||||
三 | ダムの安全性をめぐる議論と推移 | 508 | ||||||||
村民の理解が不可欠 | ||||||||||
村民むけの解説冊子をつくる | ||||||||||
四 | ダムと村政 | 514 | ||||||||
ダム関連の収入と村の財政 | ||||||||||
楢川村振興計画 | ||||||||||
第七節 | 楢川村政と奈良井営林署 | 519 | ||||||||
一 | 奈良井営林署の組織 | 519 | ||||||||
営林署の設置まで | ||||||||||
営林署の組織と管理運営 | ||||||||||
計画的な森林資源の育成と収穫 | ||||||||||
けわしい地形 高い標高 きびしい気候 | ||||||||||
保安林の設定と面積の変化 | ||||||||||
保安林の位置 | ||||||||||
二 | 奈良井営林署の官行造林・林道と治山事業 | 529 | ||||||||
官行造林の制度と実施 | ||||||||||
併用林道の設置と維持 | ||||||||||
渓間工と山腹工による治山事業 | ||||||||||
三 | 村政・村民と国有林 | 536 | ||||||||
国有林事業と村民の雇用 | ||||||||||
奈良井営林署の廃止まで | ||||||||||
国有林所在市町村交付金と楢川村 | ||||||||||
国有林材中心の木材引取税 | ||||||||||
村に貢献した国有林材の特売 | ||||||||||
広域行政による有効活用 | ||||||||||
森林組合の販売戦略と国有林 | ||||||||||
第二章 | 産業と経済 | 555 | ||||||||
第一節 | 楢川村の就業構造と労働力の状態 | 557 | ||||||||
一 | 産業別就業者数の変化 | 557 | ||||||||
就業者はおよそ二三〇〇人 | ||||||||||
林業中心の第一次産業 | ||||||||||
若者は村に就業しない | ||||||||||
木曾谷町村間の農業力の差 | ||||||||||
高い村の非農林漁業世帯率 | ||||||||||
木曾谷と楢川村の第二次産業 | ||||||||||
粗付加価値率の大きい村の工業 | ||||||||||
第三次産業とサービス業 | ||||||||||
村の産業別従業者数の特徴 | ||||||||||
二 | 村内の事業所でみた就業者分布 | 570 | ||||||||
全産業と製造業 | ||||||||||
第二節 | 漆器業 | 575 | ||||||||
一 | 漆器業の概観 | 575 | ||||||||
木曾平沢駅からの眺め | ||||||||||
製品の特徴と変遷 | ||||||||||
曲物から指物 さらに板物へ | ||||||||||
漆器業を飛躍させた鉄道 | ||||||||||
国の重要漆工団地となる | ||||||||||
ユーザーへの直接販売で伸びた座卓 | ||||||||||
漆の輸入途絶と日中友好運動 | ||||||||||
新展開への模索 | ||||||||||
基幹産業としての漆器業 | ||||||||||
二 | 原料・材料・技術 | 586 | ||||||||
漆器製品ができるまで | ||||||||||
輸入に依存してきた原料漆 | ||||||||||
長崎国旗事件と波紋 | ||||||||||
木曾日中貿易の設立と漆の直輸入 | ||||||||||
むずかしい国産漆の供給 | ||||||||||
漆をめぐる五十年代の事情 | ||||||||||
木材供給と変化 | ||||||||||
木曾平沢漆器工業協同組合の誕生 | ||||||||||
木曾漆器工業協同組合への統合 | ||||||||||
木材木工部門の生産組織 | ||||||||||
地元の木地業者が存続する条件 | ||||||||||
三 | 製造 | 605 | ||||||||
木曾漆器の特徴と製品構成の変遷 | ||||||||||
製造工程と工場間のつながり | ||||||||||
漆器業に働く人々と職種 | ||||||||||
個人経営から法人経営へ | ||||||||||
事業所の小規模化がすすむ | ||||||||||
付加価値額からみた漆器業 | ||||||||||
四 | 販売 | 618 | ||||||||
漆器店の看板の意味 | ||||||||||
胸に一物、背中に荷物 | ||||||||||
独自の販売さきをもつ製造問屋 | ||||||||||
販売さきの内訳 | ||||||||||
五 | 団体 | 627 | ||||||||
漆器業に関係した諸団体 | ||||||||||
漆器工業協同組合 | ||||||||||
漆器労働組合 | ||||||||||
行政機関・諸団体と漆器業 | ||||||||||
どんぐり会・朱と黒の会など | ||||||||||
全国漆器業者と連帯 | ||||||||||
住民レベルの日中友好運動 | ||||||||||
楢川村商工会 | ||||||||||
六 | 村政と漆器業 | 638 | ||||||||
村立木漆工芸指導所 | ||||||||||
素材転換のこころみ | ||||||||||
融資による村の振興策 | ||||||||||
産業学校から高等漆芸学院へ | ||||||||||
伝統的産業功労者など | ||||||||||
木曾漆器館の建設 | ||||||||||
七 | 労働者 | 655 | ||||||||
労働力は縁故からも | ||||||||||
依存する労働力のちがい | ||||||||||
従業者の年齢構成と後継者問題 | ||||||||||
第三節 | 楢川村の農業 | 661 | ||||||||
一 | 村農業の概観 | 661 | ||||||||
「農家」が米を買って食べる | ||||||||||
意味のあった農業基盤整備事業 | ||||||||||
二 | 農地改革による諸変化 | 664 | ||||||||
農地改革のはじまり | ||||||||||
約三七町歩が解放された | ||||||||||
登記事務もすみやかにすすむ | ||||||||||
御巣山開拓事業と中止 | ||||||||||
三 | 農業協同組合の再建と生産力向上への努力 | 669 | ||||||||
村農業協同組合の苦境と再建 | ||||||||||
困難だった経営立て直し | ||||||||||
農作物の生産と村の消費量 | ||||||||||
積寒法の対象地域となる | ||||||||||
穀物重視の昭和二十年代後半 | ||||||||||
換金作物・畜産指向の三十年代へ | ||||||||||
農業構造改善事業 | ||||||||||
畜産と草地改良事業 | ||||||||||
四 | 生産基盤の整備 | 687 | ||||||||
災害復旧からはじまった基盤整備 | ||||||||||
寄与の大きかった山村振興法 | ||||||||||
生活センターの設置 | ||||||||||
防災と安全のための同報無線連絡施設 | ||||||||||
五 | 農業生産の変化 | 693 | ||||||||
観光とむすんだ野菜・果樹生産 | ||||||||||
六 | 農業の現状と課題 | 695 | ||||||||
村おこし事業と地域振興 | ||||||||||
ゼロからの出発 | ||||||||||
地域づくりのささえとして | ||||||||||
第四節 | 楢川村の林業 | 701 | ||||||||
一 | 村林業の概観と特徴 | 701 | ||||||||
森林の樹種構成にみる特徴 | ||||||||||
比較的管理のよかった民有林 | ||||||||||
生産不振の私有林 | ||||||||||
広大な国有林 | ||||||||||
カラマツ中心の造林 | ||||||||||
二 | 戦前・戦後の林業 | 706 | ||||||||
生産と生活のための林業 | ||||||||||
部落有林野の統一 | ||||||||||
三 | 国有林と楢川村 | 710 | ||||||||
国有林と村民生活 | ||||||||||
官行造林地と国有林で働いた人々 | ||||||||||
四 | 私有林と林家・林業経営 | 714 | ||||||||
村政と林業 | ||||||||||
私有林の所有と経営 | ||||||||||
薪炭生産の残照 | ||||||||||
林業労働力の不足と高齢化 | ||||||||||
集落によって異なる林業の重要性 | ||||||||||
五 | 公有林の経営 | 723 | ||||||||
公有林経営の変化 | ||||||||||
村有林経営計画書の作成 | ||||||||||
造林事業と公有林整備事業債 | ||||||||||
労働力不足の発生 | ||||||||||
人件費中心の造林費 | ||||||||||
六 | 森林組合と林業の将来 | 730 | ||||||||
森林組合の強化 | ||||||||||
森林組合の大型合併 | ||||||||||
順調に発足した木曾森林組合 | ||||||||||
林業の将来展望 | ||||||||||
第五節 | 楢川村の商業 | 736 | ||||||||
一 | 木曾郡内でみた楢川村の商業の特徴 | 736 | ||||||||
おおい商業就業者とすくないサービス業就業者 | ||||||||||
卸売り業の弱体な木曾谷の商業 | ||||||||||
日常生活への地道なサービス | ||||||||||
よろずやの特徴のつよい食品類の商店 | ||||||||||
二 | 村民の買い物行動と商圏の変化 | 743 | ||||||||
買い物行動を分析した資料 | ||||||||||
商品によって異なる買い物圏 | ||||||||||
地元滞留率が低い品物 | ||||||||||
地元滞留率の長期的な推移 | ||||||||||
三 | 村の商店分布 | 750 | ||||||||
幹線交通路とガソリンスタンド | ||||||||||
奈良井宿のみやげ物店 | ||||||||||
漆器業は景観の構成要素 | ||||||||||
店舗をもつ漆器業者の類型 | ||||||||||
飲食店の分布と類型 | ||||||||||
四 | 村と商業振興策 | 758 | ||||||||
商業の生きのこり戦略 | ||||||||||
県の制度融資の活用 | ||||||||||
夏のイベント、商業祭 | ||||||||||
個々の商店の対応 | ||||||||||
健在なよろずや的営業 | ||||||||||
第六節 | 楢川村の観光業 | 764 | ||||||||
一 | 村の観光業の特色 | 764 | ||||||||
歴史的文化財と観光 | ||||||||||
観光資源の認識と対象の変化 | ||||||||||
宿場と漆器業重視の観光開発へ | ||||||||||
ダム構想・道路改修と観光 | ||||||||||
自然遊歩道の整備 | ||||||||||
歴史・自然をむすぶ観光 | ||||||||||
自然と歴史の遊歩道 | ||||||||||
二 | 街道ぞいの文化財的観光資源 | 776 | ||||||||
桜沢から贄川まで | ||||||||||
贄川宿から平沢へ | ||||||||||
奈良井宿をめぐって | ||||||||||
三 | 宿・町並みと観光資源 | 784 | ||||||||
奈良井宿保存の決定まで | ||||||||||
宿保存事業の展望 | ||||||||||
四 | 観光業の現状と課題 | 792 | ||||||||
入り込み客数 | ||||||||||
観光客の受け入れ | ||||||||||
民宿の背景 | ||||||||||
観光協会の設立と拡大 | ||||||||||
観光協会の事業と運営 | ||||||||||
イベントの柱 漆器祭と宿場祭 | ||||||||||
漆器祭・宿場祭の評価 | ||||||||||
第三章 | 家・世帯と各種社会集団 | 809 | ||||||||
第一節 | 家と世帯 | 811 | ||||||||
一 | 楢川村の家と世帯 | 811 | ||||||||
家と世帯について | ||||||||||
名字と集落 | ||||||||||
世帯の大きさ | ||||||||||
各地区の年齢階級別人口 | ||||||||||
各地区の続柄別世帯員数 | ||||||||||
各地区の世帯主たちの続柄 | ||||||||||
各地区の世帯主の妻たちの出身地 | ||||||||||
各地区の家族類型別世帯数 | ||||||||||
二 | 楢川村の家と職業 | 837 | ||||||||
各地区の就業者数別世帯数 | ||||||||||
各地区の就業人口の性別年齢階級別構成 | ||||||||||
各地区の続柄別就業者数 | ||||||||||
各地区の年金受給者数別世帯数 | ||||||||||
各地区の続柄別年金受給者数 | ||||||||||
一家の財布の複数化 | ||||||||||
働く人々と所得源 | ||||||||||
各地区の主な所得形態別世帯数 | ||||||||||
家業経営から企業経営へ | ||||||||||
第二節 | 各種社会集団 | 861 | ||||||||
一 | 社会集団 | 861 | ||||||||
社会集団とは | ||||||||||
二 | 伝統的地域集団 | 863 | ||||||||
伝統的集団とは | ||||||||||
集落および集落連合と氏神鎮守 | ||||||||||
信仰・祭儀関係の石造文化財の分布 | ||||||||||
石造文化財からみた贄川地区 | ||||||||||
石造文化財からみた奈良井・平沢地区 | ||||||||||
石造文化財分布のかたより | ||||||||||
伝統的地域集団 | ||||||||||
三 | 社会的交流の結節機関 | 879 | ||||||||
社会的交流の結節機関とは | ||||||||||
特別徴収義務者である事業所 | ||||||||||
第三節 | 社会圏 | 886 | ||||||||
一 | 人々の交流 | 886 | ||||||||
社会圏とはなにか | ||||||||||
二 | 人々の日常的な出入り | 889 | ||||||||
常任人口と昼間人口 | ||||||||||
通勤者と通学者 | ||||||||||
通勤者の動向 | ||||||||||
通学者の動向 | ||||||||||
どこへ通勤・通学していたのか | ||||||||||
どこから通勤するのか | ||||||||||
三 | 住民の所属変更をともなう人々の出入り | 904 | ||||||||
楢川村への転入 | ||||||||||
都道府県別にみた転入者 | ||||||||||
県内市町村別にみた転入者 | ||||||||||
楢川村からの転出 | ||||||||||
都道府県別にみた転出者 | ||||||||||
県内市町村別にみた転出者 | ||||||||||
通勤・通学圏と転入・転出圏 | ||||||||||
通勤・通学圏、転入・転出圏と婚入圏 | ||||||||||
第四節 | 現代の主婦の態度と意見 | 921 | ||||||||
一 | アンケート調査の実施 | 921 | ||||||||
調査の目的と方法 | ||||||||||
二 | 主婦の個人生活 | 922 | ||||||||
結婚の重要性 | ||||||||||
高学歴化 | ||||||||||
三 | 主婦の社会生活 | 924 | ||||||||
勤めにでたきっかけ | ||||||||||
主婦の勤めさき | ||||||||||
主婦の職歴 | ||||||||||
各種団体への参加 | ||||||||||
四 | 主婦の家庭生活 | 931 | ||||||||
出産年齢の早まり | ||||||||||
楢川村の家族 | ||||||||||
家計の構造 | ||||||||||
家の仕事 | ||||||||||
家事の役割分担 | ||||||||||
家の代表者 | ||||||||||
五 | 主婦の意見 | 947 | ||||||||
暮らし向きの実感 | ||||||||||
勤めにでる目的 | ||||||||||
性別役割分業意識 | ||||||||||
三世代同居 | ||||||||||
第四章 | 楢川村の村民生活 | 957 | ||||||||
第一節 | 村の道路・交通・モータリゼーション | 959 | ||||||||
一 | 村と道路交通 | 959 | ||||||||
道路交通のあらまし | ||||||||||
国道の改良整備 | ||||||||||
川入林道の建設 | ||||||||||
「不遇」な桑崎林道 | ||||||||||
県道がみじかい楢川村 | ||||||||||
村内道路の改修を支えた財産収入 | ||||||||||
困難だった村道改修の単独事業 | ||||||||||
三回の大きな転機 | ||||||||||
重点施策となった村内道路の新設と改良 | ||||||||||
国の地方道路政策の充実 | ||||||||||
ふえる道路関係費 | ||||||||||
村の道路の現況 | ||||||||||
二 | 鉄道と駅の変化 | 977 | ||||||||
鉄道と村民の暮らし | ||||||||||
ディーゼル列車の登場と電化 | ||||||||||
新鳥居トンネルの開通 | ||||||||||
すすむ電化と複線化工事 | ||||||||||
木曾平沢駅の移転と改築 | ||||||||||
貨物扱い集約化からの国鉄合理化 | ||||||||||
住民へのしわ寄せ許すな | ||||||||||
国鉄の合理化と駅問題 | ||||||||||
駅合理化の最終段階 | ||||||||||
駅守る奈良井老人パワー | ||||||||||
三 | バス交通・村営バスと自家用車の普及 | 993 | ||||||||
塩尻・奈良井間のバス交通 | ||||||||||
村営バス運行をはじめる | ||||||||||
村営バスの高い利用頻度 | ||||||||||
自家用車の普及 | ||||||||||
第二節 | 消防・防災 | 999 | ||||||||
一 | 消防団の結成・組織 | 999 | ||||||||
消防と防災のあらまし | ||||||||||
消防組から警防団そして消防団へ | ||||||||||
消防団条例・消防委員会条例・消防団規則 | ||||||||||
二 | 消防団の運営と事業の変遷 | 1004 | ||||||||
組織再編と施設装備の充実 | ||||||||||
長期にわたる消防力の強化 | ||||||||||
三つの時期区分 | ||||||||||
機動力の向上と団員の減少 | ||||||||||
手不足はやはり脅威 | ||||||||||
ふえる交通事故と交通安全村宣言 | ||||||||||
木曾交通安全協会楢川支部の誕生 | ||||||||||
村の対応 | ||||||||||
三 | 広域行政と消防事業 | 1020 | ||||||||
消防・防災の広域化のはじまり | ||||||||||
国道改修と消防の広域化 | ||||||||||
救急以外の業務も広域体制に | ||||||||||
四 | 災害とハザードマップ | 1024 | ||||||||
村と奈良井川 | ||||||||||
村の災害発生予想区域 | ||||||||||
第三節 | 村の衛生・水 | 1028 | ||||||||
一 | 健康と病気と死 | 1028 | ||||||||
病気と健康 | ||||||||||
脳溢血から癌と心臓病へ | ||||||||||
明確になった三大死因 | ||||||||||
二 | 国民健康保険事業と変遷 | 1031 | ||||||||
国保事業再開まで | ||||||||||
事業の変遷と給付の充実 | ||||||||||
決算規模の推移と老人保健法の充実 | ||||||||||
村民税に匹敵する保険税 | ||||||||||
村の国保事業の展望 | ||||||||||
三 | 村政と衛生 | 1049 | ||||||||
生活空間を共有する | ||||||||||
村の保健衛生事業の現状 | ||||||||||
事業の変遷 | ||||||||||
四 | 暮らしと水 | 1057 | ||||||||
水を得る苦心と努力 | ||||||||||
桜沢の飲料水・生活用水の確保 | ||||||||||
近世の宿場、贄川集落と水 | ||||||||||
街道筋の集落と水場 | ||||||||||
平沢集落と水 | ||||||||||
自力で建設・運営の平沢区水道 | ||||||||||
奈良井宿の文化財としての水場 | ||||||||||
防火用水を万全にした修理・修景事業 | ||||||||||
水場も修景事業の対象に | ||||||||||
水道普及を容易にしたビニールパイプ | ||||||||||
集落単位に整備された小型水道 | ||||||||||
村営水道事業の開始 | ||||||||||
水道布設に積極的な宮原村長 | ||||||||||
二十六年に平沢水道と奈良井水道竣工 | ||||||||||
水道整備が村政の中心課題に | ||||||||||
区民の水道から村民の水道へ | ||||||||||
貴重だった山林からの収入 | ||||||||||
経営の統合と安定給水が課題に | ||||||||||
新楢川水道の完成 | ||||||||||
山の財産を支えに新水道を建設 | ||||||||||
古い給水施設に新しい水 | ||||||||||
凍みに弱い水道があらわになる | ||||||||||
二度目の試練 昭和四十九年二月の寒波襲来 | ||||||||||
借金と利子を支払った水道事業の台所 | ||||||||||
第四節 | 福祉・高齢化問題 | 1088 | ||||||||
一 | 復興と福祉 | 1088 | ||||||||
戦争の痛手をひきずって | ||||||||||
二 | 復興から高度成長と保育 | 1091 | ||||||||
三保育園(奈良井・平沢・贄川)できる | ||||||||||
保育園の村営化が課題となる | ||||||||||
乳幼児の医療費を村で負担 | ||||||||||
高度成長期、老人と幼児が社会福祉の柱に | ||||||||||
三 | 年金、医療と高齢者の福祉 | 1099 | ||||||||
心からモノ、そしてまた心へ・・・高齢者の福祉 | ||||||||||
国民年金支給対象者、支給額 | ||||||||||
老人福祉法と財政措置 | ||||||||||
老人福祉と医療費 | ||||||||||
四 | 福祉のささえは村民の自主的な活動 | 1107 | ||||||||
自主的組織「楽々会」は平沢にまず誕生 | ||||||||||
村おこしをになって | ||||||||||
第五節 | 情報と通信 | 1114 | ||||||||
一 | 新聞・テレビの普及 | 1114 | ||||||||
新聞の普及と購読 | ||||||||||
映像の時代 | ||||||||||
公民館事業と映画 | ||||||||||
映画による楢川村からの発信 | ||||||||||
学校教育・社会教育のテレビ利用 | ||||||||||
テレビ難視聴地域の克服 | ||||||||||
テレビの普及率の推移 | ||||||||||
二 | 電話の普及と利用 | 1123 | ||||||||
電話普及の概観 | ||||||||||
公衆電話架設への努力 | ||||||||||
農村集団自動電話の導入 | ||||||||||
川入地区にも農集電話 | ||||||||||
電話局の統合と自動化・単独電話への切り替え | ||||||||||
ファクシミリの普及 | ||||||||||
第五章 | 教育と文化 | 1133 | ||||||||
第一節 | 楢川村の戦後教育のあゆみ | 1135 | ||||||||
一 | 教育熱心な楢川村 | 1135 | ||||||||
財政支出のトップは教育費 | ||||||||||
二 | 昭和二十年代 | 1136 | ||||||||
占領下での民主化教育の開始 | ||||||||||
学校教育の断絶と連続 | ||||||||||
教育環境の整備と困難 | ||||||||||
三 | 昭和三十年代 | 1142 | ||||||||
学校教育の内容の充実 | ||||||||||
四 | 昭和四十年代 | 1143 | ||||||||
学校教育設備の充実 | ||||||||||
社会教育の必要性が高まる | ||||||||||
五 | 昭和五十年代 | 1145 | ||||||||
社会教育の施設の充実 | ||||||||||
青少年健全育成事業 | ||||||||||
奈良井宿保存事業 | ||||||||||
六 | 昭和六十年代 | 1149 | ||||||||
学校の改築 | ||||||||||
生涯教育がさかんとなる | ||||||||||
七 | 財政からみた教育行政の課題の変遷 | 1152 | ||||||||
財政からみる教育行政 | ||||||||||
第二節 | 学校教育 | 1156 | ||||||||
一 | 新教育への対応 | 1156 | ||||||||
戦後の課題 | ||||||||||
GHQの占領政策 | ||||||||||
長野県での対応 | ||||||||||
新教育への教員の対応 | ||||||||||
国民学校から小学校へ―楢川小学校の場合 | ||||||||||
国民学校から小学校へ―贄川小学校の場合 | ||||||||||
楢川村での対応 | ||||||||||
二 | 楢川小学校と川入分校のあゆみ | 1164 | ||||||||
楢川小学校川入分校 | ||||||||||
施設の整備がすすむ | ||||||||||
教育内容の充実への努力 | ||||||||||
祖父母参観日とPTA | ||||||||||
新校舎落成する | ||||||||||
三 | 贄川小学校のあゆみ | 1170 | ||||||||
贄川小学校桑崎分室 | ||||||||||
施設の整備がすすむ | ||||||||||
教育内容の充実への努力 | ||||||||||
PTA・祖父母・地区など | ||||||||||
四 | 楢川中学校のあゆみ | 1176 | ||||||||
開校当初 | ||||||||||
学校経営軌道にのる | ||||||||||
産業教育において注目される | ||||||||||
スポーツがさかんな中学校 | ||||||||||
新教育課程実施の前後 | ||||||||||
五 | 楢川村学校給食センター | 1183 | ||||||||
完全給食はじまる | ||||||||||
新しい給食センター | ||||||||||
六 | 保育園・小学校および中学校のまじわりなど | 1185 | ||||||||
保育園と小学校 | ||||||||||
小学校と中学校 | ||||||||||
青年学校・定時制高等学校および産業学校 | ||||||||||
第三節 | 社会教育 | 1190 | ||||||||
一 | 敗戦後の社会教育 | 1190 | ||||||||
敗戦後の課題 | ||||||||||
敗戦後の楢川村の社会教育 | ||||||||||
ナトコ映画と新しい年中行事 | ||||||||||
施設の整備、青年学校および婦人学級 | ||||||||||
第一一回文化祭 | ||||||||||
二 | 今日の社会教育 | 1198 | ||||||||
財政からみた社会教育 | ||||||||||
三 | 今日の公民館活動 | 1199 | ||||||||
本館・分館体制の再編成 | ||||||||||
婦人部の運営 | ||||||||||
地区館の運営 | ||||||||||
四 | 今日の図書館活動 | 1215 | ||||||||
楢川村図書館 | ||||||||||
図書館の運営 | ||||||||||
五 | 今日の社会体育 | 1220 | ||||||||
村長杯争奪野球大会 | ||||||||||
早起き野球と壮年ソフトボール | ||||||||||
楢川村総合運動場と楢川村体育館 | ||||||||||
体育施設の利用と管理 | ||||||||||
六 | 青少年健全育成事業 | 1233 | ||||||||
社会の変化と青少年育成 | ||||||||||
スポーツ少年団 | ||||||||||
青少年健全育成事業 | ||||||||||
七 | まとめと展望 | 1236 | ||||||||
第四節 | 文化財の指定と保護 | 1238 | ||||||||
一 | この節においてとりあげること | 1238 | ||||||||
二 | 楢川村の有形文化財 | 1239 | ||||||||
文化財の調査と報告 | ||||||||||
おもな調査報告書 | ||||||||||
文化財の指定 | ||||||||||
三 | 楢川村奈良井伝統的建造物群保存地区 | 1247 | ||||||||
社会教育予算の変化 | ||||||||||
重要伝統的建造物群保存地区 | ||||||||||
保存への経過 | ||||||||||
保存事業 | ||||||||||
四 | 無形文化財 | 1260 | ||||||||
楢川村物産品評会 | ||||||||||
全国漆器展など | ||||||||||
伝統工芸士 | ||||||||||
無形文化財 | ||||||||||
第六章 | 楢川村の基本構想・基本計画 | 1269 | ||||||||
第一節 | 全国総合開発計画と市町村の基本構想・基本計画 | 1271 | ||||||||
一 | 全国総合開発計画とコミュニティ構想 | 1271 | ||||||||
全国総合開発計画と市町村の基本構想・基本計画 | ||||||||||
コミュニティ | ||||||||||
第三次全国総合開発計画とその後 | ||||||||||
第二節 | 『基本構想・基本計画』への楢川村の準備状況 | 1276 | ||||||||
一 | 山村振興計画と広域市町村圏計画 | 1276 | ||||||||
山村振興計画 | ||||||||||
木曾地域広域市町村圏計画 | ||||||||||
第三節 | 楢川村の『基本構想・基本計画』 | 1282 | ||||||||
一 | 『基本構想・基本計画』の策定経過 | 1282 | ||||||||
基本構想 | ||||||||||
策定作業の開始 | ||||||||||
二 | 『基本構想・基本計画』の策定状況 | 1284 | ||||||||
策定状況 | ||||||||||
策定のための資料 | ||||||||||
三 | 『基本構想・基本計画』の策定作業 | 1285 | ||||||||
策定作業の準備 | ||||||||||
策定作業が軌道にのる | ||||||||||
木曾郡勢要覧 | ||||||||||
村づくりはみんなの手で | ||||||||||
『基本構想・基本計画』 | ||||||||||
『基本構想・基本計画』以後 | ||||||||||
現代史年表 | 1313 | |||||||||
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