章節 | 目次 | 頁 | ||||||||
第一章 | 近代楢川の幕あけ | 1 | ||||||||
第一節 | 尾張藩民から長野県民となるまで | 3 | ||||||||
一 | 戊辰戦争のあとさき | 3 | ||||||||
木曾の民衆と戊辰戦争 | ||||||||||
尾張藩福島総管所 | ||||||||||
山林政策と土屋惣蔵 | ||||||||||
行動する平田門国学者 | ||||||||||
二 | 藩のおわりと県政のはじまり | 27 | ||||||||
名古屋県の戸籍づくり | ||||||||||
短かった名古屋県政 | ||||||||||
福島取締所による筑摩県政 | ||||||||||
筑摩県政と改革政治の開始 | ||||||||||
大区と小区の支配 | ||||||||||
筑摩県政と贄川・奈良井の住民 | ||||||||||
三 | 長野県民となる | 49 | ||||||||
筑摩県がおわり長野県民となる | ||||||||||
第二節 | 西筑摩郡と贄川村・奈良井村の成立 | 53 | ||||||||
一 | 郡役所と戸長役場の発足 | 53 | ||||||||
西筑摩郡役所ができる | ||||||||||
二三か村連合会と郡連合村会 | ||||||||||
戸長役場と村会の開設 | ||||||||||
二 | 国会開設運動と山林開放の願い | 64 | ||||||||
国会開設を願った自由民権 | ||||||||||
官有地の払い下げと山林の開放請願 | ||||||||||
三 | 村政の展開と連合戸長役場 | 69 | ||||||||
経済不況と村民の生活 | ||||||||||
連合戸長役場ができる | ||||||||||
連合戸長役場の行財政 | ||||||||||
第三節 | 土地と税制の改革 | 81 | ||||||||
一 | 地租改正による土地と税 | 81 | ||||||||
明確になった土地利用 | ||||||||||
水田開発と地租改正 | ||||||||||
二 | 官有地の確立と明き山開放の運動 | 90 | ||||||||
官有地への編入と民有地の利用 | ||||||||||
明き山の官有地編入と住民 | ||||||||||
三 | 村民の税負担 | 98 | ||||||||
多様になった住民の負担 | ||||||||||
学校の設置と住民負担 | ||||||||||
第四節 | 戸口の変化と社会集団のうごき | 105 | ||||||||
一 | 戸数・人口・家族と伝統的社会集団 | 105 | ||||||||
贄川村と奈良井村の戸数と人口 | ||||||||||
家族構成と平均家族数 | ||||||||||
身分の変化と名字の分布 | ||||||||||
二 | 伝統的社会集団の変化とにない手 | 117 | ||||||||
神社・寺院の行事・祭り | ||||||||||
音信帳にみる付きあい | ||||||||||
三 | 新しい結社・社会集団と徴兵による経験 | 131 | ||||||||
文化・政治による新集団と産業結社 | ||||||||||
徴兵令の施行と西南戦争・兵役 | ||||||||||
第五節 | 新しい産業・交通と村の生活 | 137 | ||||||||
一 | 宿場の変化と鉄道敷設のうごき | 137 | ||||||||
関所の廃止と宿の変容 | ||||||||||
道路の改修 | ||||||||||
中山道鉄道敷設の願い | ||||||||||
二 | 村の生業の漆器 | 149 | ||||||||
村民の生業の特色 | ||||||||||
漆器の生産と販売 | ||||||||||
三 | 村の生活 | 155 | ||||||||
郵便局の創設 | ||||||||||
農業日記にみる生活 | ||||||||||
信仰と旅 | ||||||||||
第六節 | 伝統文化と文明開化 | 165 | ||||||||
一 | 御嶽信仰と神仏分離 | 165 | ||||||||
五穀の豊熟を御嶽山へ祈る | ||||||||||
神葬祭の普及と氏子札 | ||||||||||
二 | 三つの学校の開設と教員・児童 | 172 | ||||||||
贄川・平沢・奈良井の学区と小学校 | ||||||||||
学区の変化と学校整備 | ||||||||||
三 | 文明開化と天皇巡幸・外国人来訪 | 184 | ||||||||
文明開化と生活の慣習 | ||||||||||
天皇の巡幸と外国人の来訪 | ||||||||||
第二章 | 楢川村の誕生と御料林 | 195 | ||||||||
第一節 | 楢川村が成立する | 197 | ||||||||
一 | 贄川村と奈良井村の合併 | 197 | ||||||||
村の合併に反対する意見 | ||||||||||
平沢住民は合併に賛成した | ||||||||||
二 | 楢川村政のはじまりと村政をになった人々 | 207 | ||||||||
村役場の人々と村政の展開 | ||||||||||
村会の開設と村会議員 | ||||||||||
三 | 村の財政と村民の負担 | 222 | ||||||||
村政初期の村の財政と村民負担 | ||||||||||
日清戦後の村財政と村民負担の増減 | ||||||||||
四 | 贄川区会・奈良井区会の開設と平沢区会の独立 | 232 | ||||||||
贄川区会の開設と審議事項 | ||||||||||
奈良井区会の開設と事業 | ||||||||||
平沢区会の分離と事業 | ||||||||||
第二節 | 御料林と郡政・県政・国政 | 247 | ||||||||
一 | 御料林と贄川出張所 | 247 | ||||||||
御料林の出張所 | ||||||||||
村民の御料林利用 | ||||||||||
二 | 御料林をめぐる村民のうごきと恩賜金 | 253 | ||||||||
木曾御料林問題 | ||||||||||
御下賜金と村民 | ||||||||||
御下賜金の利用 | ||||||||||
三 | 楢川村と西筑摩郡の政治 | 264 | ||||||||
楢川村民と郡役所・郡会 | ||||||||||
区有開墾地の譲与と御料林対策 | ||||||||||
西筑摩郡町村長集会の動向 | ||||||||||
日清戦争後の郡の行政 | ||||||||||
四 | 県政・国政と村民の政治運動 | 280 | ||||||||
県会議員・国会議員の選挙 | ||||||||||
普通選挙運動と貧民救済 | ||||||||||
第三節 | 諸産業と交通の変化 | 289 | ||||||||
一 | 諸産業の発展 | 289 | ||||||||
農業・養蚕業の講習会 | ||||||||||
林業 | ||||||||||
内国勧業博覧会への漆器の出品 | ||||||||||
二 | 交通の変化 | 301 | ||||||||
人力車と乗合馬車 | ||||||||||
鉄道開通前の宿泊 | ||||||||||
第四節 | 人口・家族の変化と新しい社会集団 | 308 | ||||||||
一 | 戸口・家族のうごきとふえる出寄留 | 308 | ||||||||
戸口の変化と村民生活 | ||||||||||
ふえる家族と出産・死亡・寄留 | ||||||||||
二 | 新しい村民と社会集団 | 317 | ||||||||
新しい村民のきた地域 | ||||||||||
村へやってきた人々の職業 | ||||||||||
嫁・養子にきた人と他町村へでた人 | ||||||||||
祭りなどの伝統的社会集団 | ||||||||||
平沢禁酒同盟会など新社会集団 | ||||||||||
第五節 | 村の暮らしと日清・日露戦争 | 329 | ||||||||
一 | 伝染病対策と消防組 | 329 | ||||||||
伝染病の流行と予防 | ||||||||||
消防組の設置 | ||||||||||
二 | 日清・日露戦争と村民 | 336 | ||||||||
日清戦争と村民 | ||||||||||
日露戦争と村民 | ||||||||||
第六節 | 小学校教育の発展と神社・信仰 | 343 | ||||||||
一 | 小学校教育の整備と高等小学校 | 343 | ||||||||
楢川村の四つの小学校 | ||||||||||
平沢・奈良井・贄川の三校と高等科 | ||||||||||
二 | 神社と村民の信仰 | 351 | ||||||||
神社の変化と祭り | ||||||||||
石造文化財と村民の信仰 | ||||||||||
第三章 | 大正デモクラシーと楢川村民 | 359 | ||||||||
第一節 | 村政の展開と区会の変化 | 361 | ||||||||
一 | 村長・村役場と村行財政の展開 | 361 | ||||||||
村長の交替と村政の展開 | ||||||||||
助役・収入役と村役場 | ||||||||||
村財政の拡大と歳入の特色 | ||||||||||
村民負担の増大と滞納 | ||||||||||
村歳出の内容と変化 | ||||||||||
二 | 村会のうごきと村会議員 | 381 | ||||||||
村会の議事と議員の政治要求 | ||||||||||
村会議員の選挙と村民 | ||||||||||
三 | 部落有林野の統一と森林保護組合 | 391 | ||||||||
部落有林野統一委員会 | ||||||||||
統一林野の管理と保護 | ||||||||||
第二節 | 御料林・県政・国政と村民の政治参加 | 399 | ||||||||
一 | 帝室林野管理局木曾支局奈良井出張所と村民 | 399 | ||||||||
奈良井出張所 | ||||||||||
森林の被害 | ||||||||||
御料林の利用と保護 | ||||||||||
二 | 西筑摩郡政の展開と郡役所の廃止 | 409 | ||||||||
郡役所と村政・村民 | ||||||||||
郡役所の廃止と郡町村長会 | ||||||||||
三 | 県政・国政と村民の政治参加 | 416 | ||||||||
県会議員選挙と西筑摩郡下のうごき | ||||||||||
衆議院議員選挙と村民 | ||||||||||
第三節 | 産業の発達と交通の変化 | 423 | ||||||||
一 | 諸産業の発達と漆器生産 | 423 | ||||||||
村の産業 | ||||||||||
漆器の生産 | ||||||||||
農業・養蚕業 | ||||||||||
二 | 中央線鉄道の敷設と村民 | 435 | ||||||||
中央線鉄道木曾線の決定 | ||||||||||
鉄道潰地調査委員の活動 | ||||||||||
鉄道の開通と交通の変化 | ||||||||||
三 | 山の仕事 | 446 | ||||||||
村民の御料林利用 | ||||||||||
区有山林の利用 | ||||||||||
第四節 | 国政調査による戸口・家族と社会集団 | 454 | ||||||||
一 | 国政調査・戸口と村民生活 | 454 | ||||||||
国政調査と戸口の把握 | ||||||||||
戸口の変化と村民の出入り | ||||||||||
人口構成と村民の生活 | ||||||||||
二 | 社会のうごきと社会集団 | 477 | ||||||||
米騒動・第一次世界大戦の前後 | ||||||||||
社会集団の組織と運動 | ||||||||||
村民の病気と健康増進施策 | ||||||||||
関東大震災と楢川村民 | ||||||||||
第五節 | 教育の拡充と村民の文化・娯楽 | 498 | ||||||||
一 | 実業補習学校と中等教育への関心 | 498 | ||||||||
実業補習学校の設置と運営 | ||||||||||
中等教育への関心 | ||||||||||
二 | 六年制になった尋常小学校と学校生活 | 513 | ||||||||
尋常小学校の六年制と校舎 | ||||||||||
小学校統合問題をめぐる計画と挫折 | ||||||||||
教員・学級と年中行事 | ||||||||||
三 | 村民の文化・スポーツと祭り | 532 | ||||||||
勇進社の文化・教育活動 | ||||||||||
スポーツと子どもの遊び | ||||||||||
娯楽・映画・幻灯会など | ||||||||||
神社・寺院と祭り | ||||||||||
徳富蘇峰のみた木曾路 | ||||||||||
第四章 | 大恐慌から十五年戦争への道 | 557 | ||||||||
第一節 | 大恐慌・満州事変と村政 | 559 | ||||||||
一 | 大恐慌と村政・村民生活 | 559 | ||||||||
繭価暴落から商工業不振へ | ||||||||||
村役場の役割と村政の課題 | ||||||||||
村会の審議と村財政の窮迫 | ||||||||||
二 | 満州事変・失業救済土木事業と村民生活 | 585 | ||||||||
満州事変の勃発と村政・村民 | ||||||||||
失業救済の対策と村民 | ||||||||||
第二節 | 戦争にむかう国政・県政と村民 | 594 | ||||||||
一 | 御料林と村民生活 | 594 | ||||||||
奈良井出張所と村民 | ||||||||||
御料林火災と村民 | ||||||||||
愛林防火と村民 | ||||||||||
二 | 国政への村民参加と国民精神総動員 | 604 | ||||||||
衆議院議員選挙と政治不信 | ||||||||||
国民精神総動員と『楢川村報』 | ||||||||||
三 | 県政の展開と村民のかかわり | 619 | ||||||||
県会議員選挙と村民の投票行動 | ||||||||||
西筑摩郡町村長会と戦争の影響 | ||||||||||
経済部西筑摩郡出張所と村の政治 | ||||||||||
第三節 | 経済更生運動から満州移民へ | 632 | ||||||||
一 | 経済更生運動と村政 | 632 | ||||||||
楢川村経済改善委員会の成立 | ||||||||||
産業組合・農会の更生運動 | ||||||||||
村政と経済更生の施策 | ||||||||||
二 | 満州移民と蘭花楢川村開拓団 | 649 | ||||||||
海外在留者と満州移民 | ||||||||||
分村移民の蘭花楢川開拓団 | ||||||||||
第四節 | 戦争拡大と戦時下の村民生活 | 667 | ||||||||
一 | 常会・隣組と大政翼賛運動 | 667 | ||||||||
常会組織と隣組 | ||||||||||
常会でとりあげられた事項 | ||||||||||
大政翼賛会村支部と翼賛壮年団結成 | ||||||||||
二 | 村役場の新築と戦時下の村政 | 679 | ||||||||
紀元二千六百年の村政 | ||||||||||
村役場の新築と村政の展開 | ||||||||||
太平洋戦争開始と村政 | ||||||||||
三 | 戦争のいきづまりと政治のうごき | 690 | ||||||||
国会議員の翼賛選挙 | ||||||||||
地方事務所設置と村政 | ||||||||||
戦争のいきづまりと村政 | ||||||||||
第五節 | 不況・戦時下の戸口と社会諸集団 | 714 | ||||||||
一 | 不況・戦争による戸口の変化 | 714 | ||||||||
国勢調査と戸口の動向 | ||||||||||
日中戦争の拡大前後の国勢調査 | ||||||||||
太平洋戦争前年の国勢調査 | ||||||||||
戦争の激化と村の産業人口 | ||||||||||
二 | 社会諸集団と戦時体制 | 742 | ||||||||
不況下から日中戦争期の諸団体 | ||||||||||
村から補助金がだされた諸団体 | ||||||||||
第六節 | 諸産業のいきづまりと戦時下の村民生活 | 752 | ||||||||
一 | 村の産業の推移 | 752 | ||||||||
楢川村生産物総価格の推移 | ||||||||||
養蚕業の推移 | ||||||||||
漆器の生産と副業 | ||||||||||
二 | 交通の変化と森林軌道の利用 | 764 | ||||||||
平沢駅の設置 | ||||||||||
森林軌道敷設までの御料林の運材 | ||||||||||
森林軌道の敷設と村民の利用 | ||||||||||
三 | 軍事動員と勤労奉仕 | 776 | ||||||||
軍事動員 | ||||||||||
楢川国民学校報国隊による飛行機工場の労働 | ||||||||||
四 | 村民生活と戦時統制 | 790 | ||||||||
村の衛生 | ||||||||||
贄川大火と消防組 | ||||||||||
隣組常会の開催 | ||||||||||
第七節 | 国民学校・青年学校と祭り・宗教統制 | 804 | ||||||||
一 | 教育行財政と楢川国民学校・独立楢川青年学校へのうごき | 804 | ||||||||
教育行財政と小学校二校制 | ||||||||||
実業補習学校・青年訓練所から青年学校へ | ||||||||||
二 | 軍国主義教育への道と子どもたち | 824 | ||||||||
不況下の川入分教場と児童 | ||||||||||
戦時下の川入分教場 | ||||||||||
日中戦争の拡大と楢川小学校 | ||||||||||
国民学校の発足と軍国主義教育 | ||||||||||
三 | 戦時体制下の祭り・宗教と統制 | 842 | ||||||||
平沢区の祭り・宗教と教育 | ||||||||||
麻衣廼神社の祭典と御柱 | ||||||||||
宗教諸団体の統制と楢川村 | ||||||||||
付録 | 度量衡換算表・通貨単位 | 866 | ||||||||
近代史年表 | 867 | |||||||||
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