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駒ヶ根市誌 近世編 II
出版:1992年/出版元:駒ヶ根市/編集者:駒ヶ根市誌編さん室
章節目次
第一章







道と生活 1

第一節






伊那街道と赤須・上穂宿 3








街道の成立と支配 3








伊那街道の成立








近世前期の伊那街道支配








御頼み宿の成立








赤須・上穂宿 12



(一)




宿場の形成 12








宿の成立








宿駅の構成と規模



(二)




宿役 18








宿駅の組織








伝馬役の種類








伝馬役の賦課方法と水役



(三)




人馬継立状況と宿運営 24








近世後期の人馬継立状況








伝馬賃銭








伝馬賃銭割増願








伝馬宿入用








赤須村の伝馬宿入用賦銭争論



(四)




大田切川と大田切橋 37








宿役と大田切川 37








赤須・上穂宿と大田切川








江戸町人と定橋(じょうばし)架設計画








両町の請負橋計画








最合川(もあいがわ)争論 43








宮田村の主張








瀬越人足割合








架橋問題



(五)




人口集中と宿中取締り 48








赤須・上穂宿への人口集中








宿中取締り



(六)




宿場と火災 53








赤須・上穂町の火災








火災と伝馬役








村の火災対策








火災と相互扶助








旅行者の保護








中田切川と中田切橋 65








中田切橋








橋架け入用と瀬越人足








橋銭の徴収

第二節






伊那街道と交通・運搬手段の変遷 69








伊那中馬(ちゅうま) 69



(一)




中馬争論と慣行の公認 69








中馬と継荷








脇坂氏支配と中馬争論








宝暦の中馬争論



(二)




赤須・上穂村の中馬稼ぎ 75








市域の中馬村








中馬の業態



(三)




明和期以降の中馬争論と中馬の団結 79








明和裁許後の中馬争論








荷宿と中馬稼ぎ人








中馬業者の団結と文政期の中馬争論








中馬の直接行動と宿方の中馬対策








天龍川通船 85



(一)




天龍川通船計画と中馬村・沿岸村 85








中馬と天龍川水運








天龍川水運の開発計画








神子柴村孫市らの天龍川通船



(二)




天龍川通船と中馬 89








高遠藩の通船








中馬と通船
第二章







新田開発と新田検地 93

第一節






新田開発、停滞から拡大へ 95








幕府領赤須村の新田開発 95








開発への胎動



(一)




町人請負新田計画始末 96








被災耕地の拡大状況








町人請負新田のこと








出願人久右衛門・団助








南・北下平村の対応








兵次郎の場合








事件の推移








幕府決定と土地配分








計画の立消えと村請移行



(二)




新田開発と新田検地 109








新田開発の推移 109





(1)


安永検地以前 109








切添えと切開き








新田検地条目








享保十一年検地








明和検地以後





(2)


隠田摘発と安永九年検地 120








検地規模








新田畑書上げ命令








内改めと検地








検地結果について








新田開発と年貢








高遠領の新田開発 131








抑制の時代








開発奨励と畑田成








新田の開発規模








中沢の開発形態








東伊那の新田開発形態








畑田成の進行








新田開発の抑制へ 145



(一)




深刻化する養草不足 145








借山








開発の自主的抑制



(二)




新田開発と村八分 149








大田原開発計画と村








村八分



(三)




南原新開計画と挫折 153








新開計画の前提








南原の畑田成出願








開田計画の挫折








南原その後

第二節






土地所持形態の変化 159








私領上穂村と寛政七年地改め 159



(一)




寛政七年地改め 159








地改めの動機








願人と不願人








地改めの実施








地改めの結果
第三章







中期以降の山と水 171

第一節






林野をめぐる諸問題 173








変貌する山論 173








山論の特質



(一)




再燃した馬札場山論 175








享保期山論 175








馬札入会








紛争の契機








山野における私権の扶植








宝暦山論 181





(1)


山論の経過 181








幕府裁許から





(2)


山論の背景 184








持主権の純粋化








採草地の荒廃化



(二)




山林原野の担租地化と山論 188








山林原野の担租地化 188








秣場・百姓持林書上








赤須村の秣場と百姓持林








草場年貢








草場年貢と山論 193








「作左衛門分」の場合








百姓持林と刈跡入会紛争








第二次大田切山論 198



(一)




高遠領内藤氏と大田切山 198








山論の本質








内藤氏の関与実態








江戸出訴








御立山由来



(二)




山論の経過と結末 205








実地検分








裁許








林業生産と林野管理 209



(一)




御林の利用と管理 209








高遠藩の松茸山








大田切山の管理








大田切山の木材生産








材木運上



(二)




共有山野の管理 218








共有山野の管理と村法 218








牛馬の放牧と草場管理規定








山の口








夏草・朝草・夕草・ふじ葉・はぎの葉








材木と薪








新規入会権の取得








入会山の分割








木地師(きじし)と村持山 232








膳椀伝説の頃








木地師と村の山

第二節






河川と水利 236








新田開発と水需要の増大 236








水論の底流



(一)




大田切川と水利権の確立 239








大田切川の水利系統








黒川井の復旧目論見








高遠藩の干渉








水論の結末



(二)




新宮川水系の用水と水利権 247








高遠藩の用水政策








新宮川の新井開削と水利権 249








新宮川水系の主な用水路





(1)


上井の成立 252








横吹井延長の前提








塩田村曽右衛門と工事の施工








横吹井の利用慣行の形成





(2)


丑淵井の開削と水利権 257








丑淵井の開設








井敷借用協定








工事費用負担規定








分水規定








優先権と新田開発





(3)


風巻(かざまき)井(落合新井)の新設 265








風巻井開設経過





(4)


高見新井(しんい)開設事情 267








新井の開削と高遠藩








新井開削目論見
第四章







年貢収納仕法と諸役負担 271

第一節






年貢収納仕法 273








幕府領の年貢収納仕法 273








三分一金納・三分二米納








皆石代納制の実現








石代納と百姓








災害と安石代(やすこくだい)願い

第二節






諸役 284








幕府領赤須六か村の諸役 284








概況








真綿代・鳥黐(とりもち)代・薪代








口米








高掛り三役








山野と小物成








運上と冥加








高遠領中沢郷の諸役 293



(一)




内藤氏以前 293








鳥居氏の小物成








鳥居氏の改易と租法の整理



(二)




内藤氏の小物成 297








免定に見る初期の小物成








雑穀割と御小屋納物








内藤氏の運上








郷歩








私領上穂村・近藤知行所の諸役 309








初期小物成








小物成概況








御小人(おこびと)奉公








御領上穂村・千村預所の諸役 317








概況








口米








高掛り三役と小物成








運上・冥加








夫役

第三節






木曽助郷(きそすけごう) 323








木曽助郷と伊那郡 323








道路政策と助郷








道路改修と木曽助郷








定助郷指定








代助郷指定まで―赤須・上穂村の場合― 327








臨時助郷








文化十二(一八一五)年の臨時助郷








代助郷の指定








代助郷指定への抵抗








公用通行と助郷勤め 335








文政四年の助郷負担








御朱印・御証文通行








中山道の通行者たち








代助郷以後








高遠領と助郷 341








領主融通勤め








助加銭負担








定助郷指村と当分助郷 346








定助郷指村








当分助郷
第五章







産業の発達と商品流通の拡大 351

第一節






農業 353








農業生産基盤と耕作 353



(一)




土地 353








耕地所持状況








経営形態



(二)




耕作 356








稲作 356








品種と苗代








本田準備と田植え








水田管理と収穫








畑作 361








多種栽培








畑地への施肥








麦作・雑穀








そ菜・果樹類など








煙草・藍などの栽培



(三)




農間余業と奉公 370








農間余業








農家の奉公人








旅稼ぎ



(四)




豪農経営と地主・小作制 376








地主手作り経営








手作り経営の労働力








豪農経営と大田植え








地主と小作

第二節






商工業の発達と商品流通 384








商業と工業 384








村と職人








商業の生成と発展








高遠藩の職人・商人統制








高遠藩の産業奨励と産物会所の設立








市域の諸産業と商品流通 391



(一)




地域特産物の生産と流通 391








伊那街道と商品流通








御蔵米の地払いと地主米の流通








中沢莨(たばこ)と仲買商



(二)




養蚕・製糸と生糸商人 396








登せ糸の時代








養蚕農家と糸挽屋








開国と糸価








開港後の養蚕と製糸



(三)




酒造業の展開 406








酒造株








酒造株の分散








酒造役米と酒造人








酒造り



(四)




中沢石灰の生産と流通 413








中沢石灰生産前史 413








漆喰(しっくい)から肥料へ








北下平村彦三郎と石灰生産 415








参入の契機








初年度の商業形態








特権商人化への道
第六章







移り変わる村の暮し 423

第一節






村入用 425








村入用と小百姓の動向 425



(一)




村入用帳法制化の周辺 425








支配と自治








村入用の法制化



(二)




宝暦六年赤須町村入用帳の成立 431








宝暦四年の村方騒動 431








騒動と対立点








慣例と不正








宝暦六年の村入用帳 436








村入用帳の残存状況








宝暦六年赤須町村入用帳








村方騒動の反映








質と量の変化 441



(一)




合理化への道程 441








適正化への道








村入用単価の定額化








前割の採用








割頭の設置



(二)




高遠領の村入用抑制策 447








領主の介入



(三)




村入用の量的推移 450








量的推移と村の変貌 450








量的推移の概観








負担と村意識の変化








天保期以降の村入用 456








費目分類








世直し一揆と村入用

第二節






村の政治と生活 461








村の政治 461



(一)




村役人勤役体制の変化 461








輪番名主の登場 461








定名主制の崩壊








大曽倉村の輪番制








北下平村の名主増員願








月番名主の登場―赤須町の場合―








一か月交代制―上赤須村の例―








名主役をめぐる村内の混乱








有給化への移行 474








赤須町の村役人給








御領上穂村の有給化動向








村役人の新規取り立て 477








村役人と家筋








献金と家筋の獲得








拝地一五〇年記念と村役人の取り立て








越名主(こしなぬし)のこと

第三節






領主法と村の掟(おきて) 482








領主法と村落支配 482








五人組と五人組帳前書








理想の農民像








享保改革と物価対策








寛政改革と村








身分制社会と暮しの規制








威筒と殺生筒








村法と村の暮し 501








村法について



(一)




村八分と村法 504








本曽倉村の村八部一件



(二)




倹約に関する村法と生活規制 508








村法成立の前提








高遠領の倹約村法 509








栗林村の「諸事相定之事」








凶作と村法








赤須・上穂八か村倹約村定め 513








組合村法の成立








消費規制に関する規定








職人賃金などの抑制








倹約村定めと村の暮し 518








消費生活の拡大








食生活と村法



(三)




村法と村の治安 522








村法への委任








高遠領の博奕禁止村定め








赤須・上穂両村と治安対策の村法








野荒しと村法
第七章







災害の記録 533

第一節






農業と災害 535








農業災害の発生状況とその影響 535



(一)




凶作と飢饉 535








主要な凶作年と被害実態 537





(1)


年貢割付状に現れた作毛被害 537








年貢割付状の効用








延宝・元禄期の作況








享保期の作毛被害








天明期の作柄








小作料から見た天明飢饉








高遠領の天明三年








天明四年以後








天保期の気象と作柄








凶作と百姓の暮し 560








飢餓について








飢餓の実際








天明飢饉以後








村の対策・領主の対策 565








凶作と延売貸し








高遠藩の諸施策








貯穀制度の展開








村の貯穀








村々の貯穀状況








貯穀の運用








流通規制








相互規制と相互扶助








飢饉体験と救荒の書



(二)




水害の歴史 592








正徳五年の洪水








農地流失記録 596








赤須三か村の耕地流失状況








被害の実相








村内状況の深刻化








起返しと年貢 603








起返しの進行








復旧農地の担租力低下状況








上赤須村の場合








水害と川除普請(かわよけぶしん) 610








川除普請と工事主体





(1)


南・北下平村と川除普請 611








川除普請事始め








御普請場仕法








請負業者の出現








普請の歴史








川除の構造





(2)


国役普請 626








制度としての国役普請








高遠領の国役普請








国役金の徴収








近藤知行所と国役金
第八章







幕藩体制の終焉に向けて 633

第一節






領主財政の破綻と支配の動揺 635








高遠藩財政と藩政「改革」 635



(一)




年貢増徴策と無尽政策 635








高遠藩の財政基盤








文化五年の二分・五分増米








文化七年の積金講と仕法








頼母子講(たのもしこう)始末








興津騒動とその底流








騒動の勃発



(二)




文政期の借財と整理計画 650








借金と在仕送り役








借金の実態と整理方針








第一次返済計画








長期債務の整理計画








藩財政収支の計画化



(三)




天保飢饉以降の藩財政 661








飢饉と御趣法の破綻








施策の様々








拝地一五〇年祭以後








旗本近藤氏の家政と財政破綻 671



(一)




近世末期の財政事情 671








家計と知行所内諸役








領主無尽








九升合借上金と家政改革

第二節






幕末維新の動乱と伊那谷 678








黒船の来航と政情の変化 678








蒸気船の衝撃








海防と献金








黒船と庶民の暮し








幕府の軍制改革と兵賦(へいぶ)役 686



(一)




旗本近藤知行所の兵賦役 686








軍制改革の条件








兵賦令・その内容








知行所内の兵賦








知行所内選抜と兵賦給金








兵賦の異動届から








慶応三年の兵制改正



(二)




長州戦争と軍役 698








幕府領の兵賦








農兵の徴発と庶民の負担








世直しの時代 701



(一)




水戸浪士の伊那谷通行のこと 701








水戸の藩内抗争と水戸浪士








赤須・上穂宿と浪士軍の宿泊








献金の強要



(二)




世直し一揆の発生 708








吉五郎一件 708








米価高と飯田騒動








慶応元年閏五月十日








騒動その後



(三)




お札降りと民衆の狂乱 714








世上不穏








お札降り








戊辰戦争と伊那谷 721



(一)




新政府軍東征の中で 721








東山道鎮撫総督








諸領主の対応








「ニセ」官軍と「ニセ」勅使のこと



(二)




武士階級の解体 732








旗本の解体と知行地の取上げ 732








采地土着令








甲州道中日記








勤王願書








本領安堵








士族への道








禄制改革以後








千村預所の消滅 745








支配地処分の経過








千村氏の抵抗
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