章節 | 目次 | 頁 | ||||||||
序編 | 自然環境 | 1 | ||||||||
第一章 | 上郷の位置 | 3 | ||||||||
第一節 | 上郷(かみさと)の名の由来 | 3 | ||||||||
第二節 | 行政的位置 | 4 | ||||||||
第三節 | 地理的位置 | 5 | ||||||||
第二章 | 上郷の地形地質 | 7 | ||||||||
第一節 | 木曽山地 | 7 | ||||||||
第二節 | 飯田盆地 | 8 | ||||||||
盆地の生成・盆地南部の第三紀層 | ||||||||||
伊那層の分布・洪積期の天竜層 | ||||||||||
天竜河岸低地・段丘の形成 | ||||||||||
扇状地と段丘・上郷の段丘 | ||||||||||
第三章 | 水系 | 15 | ||||||||
第一節 | 河川 | 15 | ||||||||
一、 | 野底川 | |||||||||
野底川は松川に上流を奪われた? | ||||||||||
野底川の氾濫・松川の氾濫 | ||||||||||
野底川と別府 | ||||||||||
二、 | 土曽川 | |||||||||
三、 | 天竜川 | |||||||||
第二節 | 地下水と飲用水 | 21 | ||||||||
一、 | 主な湧水帯 | |||||||||
1、 | 山麓扇状地末端 | |||||||||
2、 | 黒田段丘崖下 | |||||||||
3、 | 低位段丘崖下 | |||||||||
二、 | 井戸の深さ | |||||||||
第一 | 考古編 | 27 | ||||||||
はじめに | はじめに | 29 | ||||||||
第一章 | 上郷の遺跡 | 30 | ||||||||
第一節 | 上郷の遺跡の概観 | 30 | ||||||||
第二節 | 上郷の考古学的調査 | 39 | ||||||||
一、 | 鳥居竜蔵の現地調査 | |||||||||
二、 | 下伊那史編纂のための調査 | |||||||||
三、 | 中央自動車道用地内及びその周辺地域の分布調査と発掘調査 | |||||||||
四、 | 上郷全域にわたる分布調査 | |||||||||
五、 | 高松原遺跡発掘調査 | |||||||||
六、 | 其の他の調査 | |||||||||
第二章 | 先土器時代 | 42 | ||||||||
第三章 | 縄文時代の上郷 | 43 | ||||||||
第一節 | 縄文時代の概観 | 43 | ||||||||
第二節 | 縄文時代各期の上郷 | 44 | ||||||||
草創期・早期・前期・中期・後期・晩期 | ||||||||||
第四章 | 弥生時代の上郷 | 51 | ||||||||
第一節 | 弥生時代の概観 | 51 | ||||||||
第二節 | 弥生時代の上郷 | 52 | ||||||||
波及期・中期・後期・高松原遺跡 | ||||||||||
第三節 | 集落立地の変化と農耕生活の展開 | 59 | ||||||||
第五章 | 古墳時代の上郷 | 60 | ||||||||
第一節 | 古墳時代の概観 | 60 | ||||||||
第二節 | 上郷の古墳 | 61 | ||||||||
1、 | 門前古墳(鶏足院古墳) | |||||||||
2、 | 天神塚(雲彩寺の古墳) | |||||||||
3、 | 化石一号墳(血とり場の古墳) | |||||||||
4、 | 化石二号墳 | |||||||||
5、 | 番神塚(北村) | |||||||||
6、 | 溝口の塚(堂垣外) | |||||||||
7、 | ドドメキ一号墳 | |||||||||
8、 | 賢聖塚(榎戸) | |||||||||
9、 | 中島五号墳 | |||||||||
10、 | 藤塚(中島六号墳) | |||||||||
11、 | 天王原の塚(中井) | |||||||||
12、 | つくね塚(庚申原古墳) | |||||||||
13、 | 宮の前垣外古墳(護老神社境内の塚) | |||||||||
14、 | フジ塚 | |||||||||
第三節 | 上郷の古墳時代の集落 | 76 | ||||||||
1、 | 丹保A遺跡 | |||||||||
2、 | 丹保B遺跡 | |||||||||
3、 | 飯沼土師器窯跡 | |||||||||
4、 | 薮越遺跡 | |||||||||
5、 | 中位段丘上の遺跡 | |||||||||
6、 | 姫宮遺跡の石製模造品 | |||||||||
第四節 | 古墳時代の集落と生活の発展 | 83 | ||||||||
第六章 | 奈良時代以後の上郷 | 86 | ||||||||
第一節 | 奈良時代以後の概観 | 86 | ||||||||
第二節 | 奈良時代以後の上郷 | 88 | ||||||||
1、 | 奈良時代 | |||||||||
2、 | 平安時代 | |||||||||
3、 | 鎌倉・室町時代 | |||||||||
第二 | 古代・中世編 | 91 | ||||||||
序章 | 地方史の立場 時代区分 | 93 | ||||||||
一、 | 地方史と中央史 | |||||||||
二、 | 時代区分 | |||||||||
第一章 | 古代 | 95 | ||||||||
第一節 | 古代概観 | 95 | ||||||||
第二節 | 古代の上郷 | 98 | ||||||||
1、 | 宇沼村麻績の里と座光寺伝説 | |||||||||
2、 | 東山道の通過地について | |||||||||
3、 | 古代の上黒田 | |||||||||
・上黒田の水田 | ||||||||||
・上黒田出土の灰釉陶器と古鏡 | ||||||||||
・栃ヶ洞の古代水田と寺屋敷 | ||||||||||
第三節 | 荘園の発達と武士の発生 | 117 | ||||||||
荘園の発達と律令国家の頽廃 | ||||||||||
名主武士の発生 | ||||||||||
伊那郡の荘園 | ||||||||||
郡戸庄 | ||||||||||
農業技術 | ||||||||||
第二章 | 中世 | 117 | ||||||||
第一節 | 概説 | 117 | ||||||||
一、 | 鎌倉時代 | |||||||||
二、 | 南北朝と室町時代 | |||||||||
貨幣流通の拡大と商工業の発達 | ||||||||||
三、 | 兵農分離の方向へ | |||||||||
第二節 | 鎌倉時代の上郷 | 122 | ||||||||
郡戸庄の地頭・庄官 | ||||||||||
野底大井の開さく | ||||||||||
別符 | ||||||||||
第三節 | 南北朝・室町時代の上郷 | 127 | ||||||||
一、 | 伊那郡の豪族 | |||||||||
小笠原氏 | ||||||||||
大塔の戦 | ||||||||||
結城合戦 | ||||||||||
飯田郷坂西氏 | ||||||||||
知久氏 | ||||||||||
二、 | 上郷の諸族と城址 | |||||||||
飯沼氏 | ||||||||||
飯沼城 | ||||||||||
飯沼城址発掘古銭 | ||||||||||
原の城 | ||||||||||
黒田氏 | ||||||||||
座光寺氏と黒田 | ||||||||||
古城 | ||||||||||
第四節 | 戦国期、織田・豊臣期の伊那郡 | 146 | ||||||||
一、 | 武田氏の伊那郡侵略 | |||||||||
二、 | 織田軍の侵入 | |||||||||
三、 | 徳川氏の伊那郡支配 | |||||||||
四、 | 武田・織田・徳川の支配形態 | |||||||||
貫高と石高 | ||||||||||
飯沼郷の分村 | ||||||||||
第三 | 近世編 | 157 | ||||||||
第一章 | 支配者と土地制度・貢租 | 159 | ||||||||
第一節 | 飯田藩の領主 | 159 | ||||||||
一、 | 毛利秀頼 | |||||||||
二、 | 京極高知 | |||||||||
三、 | 小笠原秀政 | |||||||||
四、 | 脇坂安元・安政 | |||||||||
五、 | 堀氏十二代 | |||||||||
七千石加増と一万石減封 | ||||||||||
さらに二千石召上げ | ||||||||||
第二節 | 土地制度―検地帳の検討 | 165 | ||||||||
一、 | 土地制度の変化―中世から近世へ | |||||||||
二、 | 秀吉の検地―天正の太閤検地 | |||||||||
三、 | 脇坂氏の検地 | |||||||||
四、 | 検地帳の形式と内容 | |||||||||
五、 | 各村耕地面積・収穫高 | |||||||||
六、 | 検地帳にみる農民階級 | |||||||||
七、 | 新田検地・永流改め | |||||||||
八、 | 柏原の開発 | |||||||||
第三節 | 年貢と課役 | 203 | ||||||||
一、 | 初期の年貢―知行者へ | |||||||||
二、 | 中期以後の年貢 | |||||||||
三、 | 小物成 | |||||||||
四、 | 課役と運上金 | |||||||||
御城役ほか・江戸御小人勤め | ||||||||||
運上金 | ||||||||||
五、 | 幕府への貢租 | |||||||||
国役金 | ||||||||||
献上胡桃代 | ||||||||||
第二章 | 村民の構成と支配組織 | 218 | ||||||||
第一節 | 村民の構成 | 218 | ||||||||
一、 | 初期の役百姓 | |||||||||
二、 | 村役人層 | |||||||||
別府村長百姓騒動 | ||||||||||
庄屋 | ||||||||||
三、 | 五人組 | |||||||||
四、 | 年貢高から見た農民階級 | |||||||||
五、 | 無高・借屋・地借者 | |||||||||
第二節 | 戸数・人口とその移動 | 240 | ||||||||
一、 | 宗門帳 | |||||||||
記載形式の変化 | ||||||||||
戸数人口と家族構成 | ||||||||||
二、 | 住民の移動 | |||||||||
村送状 | ||||||||||
婚姻 | ||||||||||
出所見届 | ||||||||||
三、 | 厄介・欠落・勘当・無宿者 | |||||||||
第三節 | 御触 | 253 | ||||||||
五人組御法度書 | ||||||||||
御触書 | ||||||||||
第四節 | 村定め | 261 | ||||||||
第五節 | 村貫 | 263 | ||||||||
一、 | 南條村の村貫 | |||||||||
二、 | 上黒田村の村貫 | |||||||||
三、 | 村礼 | |||||||||
四、 | 上郷貫 | |||||||||
第三章 | 水利と用水井 | 274 | ||||||||
はじめに | はじめに―農業と水利 | |||||||||
第一節 | 野底川の水利 | 274 | ||||||||
一、 | 大井(三ツ井) | |||||||||
開さく史 | ||||||||||
野底川一番井の権限 | ||||||||||
川底 | ||||||||||
平との水論 | ||||||||||
井普請 | ||||||||||
三ツ井潅漑面積 | ||||||||||
井尻の困苦 | ||||||||||
二、 | その他の用水堰 | |||||||||
梅ノ木井 | ||||||||||
鹿島井 | ||||||||||
ほたる川 | ||||||||||
川底井 | ||||||||||
上井 | ||||||||||
下井 | ||||||||||
善右衛門井 | ||||||||||
北村井 | ||||||||||
中井 | ||||||||||
半四郎井 | ||||||||||
第二節 | 松川の水利 | 307 | ||||||||
天王井 | ||||||||||
小松原井 | ||||||||||
八反田井 | ||||||||||
町張り井 | ||||||||||
第三節 | 土曽川の水利 | 309 | ||||||||
一、 | 沢洞井 | |||||||||
二、 | 土曽川太郎井 | |||||||||
座光寺次郎井との水論 | ||||||||||
水溜堤の建設 | ||||||||||
沢田堤地の交換 | ||||||||||
井・堤普請と藩の補助 | ||||||||||
第四節 | 落ち水による栗沢井 | 320 | ||||||||
沼田余水の利用 | ||||||||||
第五節 | 自然湧水の利用 | 328 | ||||||||
第六節 | 各水系別の農業用水 | 331 | ||||||||
第四章 | 山林 | 333 | ||||||||
まえがき | まえがき | |||||||||
第一節 | 野底山 | 333 | ||||||||
一、 | 近世入会山の利用形態 | |||||||||
二、 | 野底山をめぐる争論 | |||||||||
1、 | 天正十六年四か村と別府村の境争い | |||||||||
2、 | 寛永十四年の草場争い | |||||||||
3、 | 明暦三年島田村百姓の入山 | |||||||||
4、 | 万治年間座光寺村との争い | |||||||||
5、 | 寛文四年沢洞忠賢山刈敷争い | |||||||||
6、 | 脇坂氏時代の山取締り令 | |||||||||
7、 | 延宝五年別府村と四か村の争い | |||||||||
8、 | 貞享三年五か條の訴え | |||||||||
第二節 | 元禄の山論 | 343 | ||||||||
一、 | 山論の発端 | |||||||||
二、 | 江戸出訴 | |||||||||
三、 | 訴訟の経過 | |||||||||
四、 | 訴訟の費用 | |||||||||
五、 | 犠牲者、その後 | |||||||||
第三節 | 元禄以後の野底山 | 398 | ||||||||
一、 | 上黒田村対四か村の草場争論 | |||||||||
二、 | 掘木鉄砲流し中止願 | |||||||||
三、 | 野底山止め木の定め | |||||||||
四、 | 八王子の枯れ木伐取り紛争 | |||||||||
五、 | 鍛治炭焼き運上 | |||||||||
六、 | 姫宮森につき上黒田村と四か村争論 | |||||||||
七、 | 入会山道に苦しむ別府村 | |||||||||
八、 | 野底入会山道作り、丁場定め | |||||||||
九、 | 野底山の口明け通知状 | |||||||||
猪の通り番人 | ||||||||||
第四節 | 個人持林 | 416 | ||||||||
竹薮 | ||||||||||
第五章 | 産業 | 421 | ||||||||
第一節 | 農業 | 421 | ||||||||
一、 | 耕地 | |||||||||
二、 | 田の作物 | |||||||||
三、 | 畑作物 | |||||||||
四、 | 肥料 | |||||||||
第二節 | 商品作物と手工業的副業 | 428 | ||||||||
一、 | 養蚕と糸引き | |||||||||
南浜島家の養蚕 | ||||||||||
原六右衛門の業績 | ||||||||||
蚕種 | ||||||||||
二、 | 干し柿 | |||||||||
三、 | 元結 | |||||||||
四、 | 紙漉き | |||||||||
五、 | 水車 | |||||||||
六、 | 飯沼の機染業 | |||||||||
染物業 | ||||||||||
機織業 | ||||||||||
七、 | 酒造業 | |||||||||
第三節 | 村の手工業者 | 447 | ||||||||
第四節 | 村の商業 | 449 | ||||||||
振り商人 | ||||||||||
南條の白木屋 | ||||||||||
第五節 | 村の金融 | 451 | ||||||||
一、 | 土地売買と質地借用金 | |||||||||
二、 | 無尽講 | |||||||||
落鬮無尽 | ||||||||||
せり無尽 | ||||||||||
三、 | 裏判帳 | |||||||||
四、 | 地主・小作制の発達 | |||||||||
領主よりも多い地主得分 | ||||||||||
第六章 | 交通 | 466 | ||||||||
第一節 | 助郷 | 466 | ||||||||
一、 | 下伊那の助郷変遷 | |||||||||
二、 | 助郷組織とその実行方法 | |||||||||
三、 | 助郷課役と農民生活 | |||||||||
1、 | 農民経済の逼迫 | |||||||||
駄賃 | ||||||||||
人口停滞 | ||||||||||
2、 | 助郷人足の難渋 | |||||||||
3、 | 助郷人足の無頼化 | |||||||||
4、 | 助郷出入 | |||||||||
5、 | むすび | |||||||||
第二節 | 庶民の旅 | 487 | ||||||||
一、 | 江戸時代の旅 | |||||||||
善光寺詣り | ||||||||||
金毘羅参り | ||||||||||
江戸下り | ||||||||||
二、 | 明治初期の旅 | |||||||||
草津行 | ||||||||||
遠州法多山参詣 | ||||||||||
第三節 | 中馬 | 495 | ||||||||
一、 | 中馬の発達 | |||||||||
宿場との争い | ||||||||||
二、 | 飯田町を中心とする商業の発達 | |||||||||
第四節 | 天竜川の交通 | 504 | ||||||||
一、 | 天竜川利用の交通 | |||||||||
管流し、筏、川舟 | ||||||||||
二、 | 天竜川横断の交通 | |||||||||
渡船、橋 | ||||||||||
第七章 | 凶作・飢饉と貯穀 | 519 | ||||||||
第一節 | 凶作と年貢減免・拝借米 | 519 | ||||||||
第二節 | 天明の飢饉 | 522 | ||||||||
第三節 | 天保の飢饉 | 524 | ||||||||
第四節 | 備荒貯穀 籾の積替え | 531 | ||||||||
第八章 | 藩財政の窮乏と農民 | 538 | ||||||||
第一節 | 御用金と家臣の俸禄削減 | 538 | ||||||||
第二節 | 享保の二分増米 | 547 | ||||||||
第三節 | 千人講騒動 | 550 | ||||||||
付 | その他の騒動 | |||||||||
紙問屋騒動 | ||||||||||
笠松山騒動 | ||||||||||
南山一揆 | ||||||||||
第四節 | 御定借 御仕送御用達 | 565 | ||||||||
第五節 | 幕末の藩財政 | 568 | ||||||||
一、 | 紀州藩からの借入れ金 | |||||||||
二、 | 鼎足講 | |||||||||
三、 | 藩借用金の後仕末 | |||||||||
第九章 | 明治維新と農村 | 575 | ||||||||
第一節 | 対外防備と冥加上納金 | 575 | ||||||||
雞足院梵鐘徴発される | ||||||||||
第二節 | 野組の編成と鉄砲献上 | 578 | ||||||||
第三節 | 水戸浪士軍の通行 | 580 | ||||||||
第四節 | 維新の動乱と夫役出動 | 586 | ||||||||
一、 | 長州征伐不参の事情 | |||||||||
二、 | 飯田藩主大阪警備役を命ぜられる | |||||||||
三、 | 東山道総督軍に属し出役 | |||||||||
第五節 | 官軍先鋒隊の伊那谷通過 | 591 | ||||||||
第六節 | 物価騰貴と世直し一揆 | 595 | ||||||||
「ええじゃないか」の騒ぎ | ||||||||||
第七節 | 二分金騒動 | 602 | ||||||||
第十章 | 社寺 | 609 | ||||||||
第一節 | 神社 | 609 | ||||||||
一、 | 上黒田八幡宮 | |||||||||
二、 | 下黒田諏訪神社 | |||||||||
明神講 | ||||||||||
三、 | 護老神社 | |||||||||
祭礼 | ||||||||||
基本財産 | ||||||||||
四、 | 南條田中八幡宮 | |||||||||
五郎宮と伝説 | ||||||||||
五、 | 飯沼諏訪神社 | |||||||||
諏訪上社と飯沼郷 | ||||||||||
諏訪三役 | ||||||||||
御柱祭 | ||||||||||
社宮司 | ||||||||||
六、 | 八王子神社と姫宮 | |||||||||
岩見重太郎伝説 | ||||||||||
七、 | 田薗社と分森社 | |||||||||
慶長の棟札 | ||||||||||
第二節 | 寺院 | 660 | ||||||||
一、 | 迦葉山雞足院 | |||||||||
江湖会佐原祖田大洞院輪番 | ||||||||||
二、 | 白雉山雲彩寺 | |||||||||
大寂道吾 | ||||||||||
三、 | 法輪山経蔵寺 | |||||||||
山門 | ||||||||||
四、 | 法隆山太念寺 | |||||||||
斉藤家と太子堂 | ||||||||||
五、 | 光福寺 | |||||||||
六、 | 上黒田薬師堂 | |||||||||
円光寺 | ||||||||||
円光寺の位置 | ||||||||||
七、 | 北條薬師 | |||||||||
伊那十二薬師 | ||||||||||
八、 | 別府薬師 | |||||||||
九、 | 高松薬師 | |||||||||
一〇、 | 安楽寺 | |||||||||
一一、 | 隠寮 | |||||||||
第十一章 | 信仰と娯楽 | 718 | ||||||||
第一節 | 講社 | 718 | ||||||||
一、 | 飯沼伊勢講 | |||||||||
二、 | 其他の講社 | |||||||||
代々講 | ||||||||||
金毘羅講 | ||||||||||
三峰講 | ||||||||||
秋葉講 | ||||||||||
太子講 | ||||||||||
念仏講 | ||||||||||
明神講 | ||||||||||
第二節 | 諸勧化 | 727 | ||||||||
御免勧化と相対勧化 | ||||||||||
第三節 | 娯楽芸能 | 731 | ||||||||
一、 | 祭典芸能 | |||||||||
黒田人形 | ||||||||||
二、 | 其他の娯楽芸能 | |||||||||
自演芸能―地芝居 素浄瑠璃 碁 将棋 | ||||||||||
観賞芸能―芝居 義太夫 うかれ節 軍談 | ||||||||||
三、 | 芸能娯楽取締り | |||||||||
第四 | 近代編 | 743 | ||||||||
第一章 | 明治前半期の地方行政と上郷村 | 745 | ||||||||
第一節 | 地方行政機構の変遷 | 745 | ||||||||
一、 | 府県藩三治制 | |||||||||
二、 | 廃藩置県 | |||||||||
三、 | 戸籍区の設定 | |||||||||
四、 | 新しい区制 | |||||||||
五、 | 大区小区制 | |||||||||
六、 | 第一次上郷村の誕生 | |||||||||
七、 | 長野・筑摩両県合併と郡制施行 | |||||||||
八、 | 上郷村四か村に分離 | |||||||||
九、 | 四ヵ村連合戸長役場設置 | |||||||||
第二節 | 地租改正 | 776 | ||||||||
一、 | 地租改正の意味 | |||||||||
二、 | 古い形の貢租―明治七年まで | |||||||||
三、 | 地租改正作業の経過 | |||||||||
四、 | 地価修正運動の展開 | |||||||||
五、 | 地租改正の費用―農民負担 | |||||||||
第三節 | 開産社 | 806 | ||||||||
第二章 | 町村制施行以後の上郷村の政治 | 813 | ||||||||
第一節 | 第二次上郷村の成立と推移 | 813 | ||||||||
一、 | 成立の経過 | |||||||||
二、 | 新村の性格 | |||||||||
三、 | 村政の推移 | |||||||||
1、 | 明治時代 | |||||||||
道路の整備・天竜川原の開田・新役場新築・学校統一 | ||||||||||
村財政の内容 | ||||||||||
2、 | 大正時代 | |||||||||
村営電気問題 | ||||||||||
米騒動対策 | ||||||||||
野底山入会権解消 | ||||||||||
村財政の内容 | ||||||||||
3、 | 昭和戦前期 | |||||||||
経済不況対策 | ||||||||||
経済更正計画と負債整理 | ||||||||||
戦時体制へ | ||||||||||
財政内容 | ||||||||||
北原阿智之助村長 | ||||||||||
4、 | 戦後の村政 | |||||||||
北原亀二村長 | ||||||||||
村営診療所―高松病院 | ||||||||||
村営製材所 | ||||||||||
教育施設 | ||||||||||
町村合併と上郷村 | ||||||||||
三六災害 | ||||||||||
村営上水道 | ||||||||||
役場庁舎と村民会館建設 | ||||||||||
町制施行 | ||||||||||
小学校改築 | ||||||||||
財政内容 | ||||||||||
第二節 | 村営電気 | 860 | ||||||||
一、 | 序 | |||||||||
二、 | 第一期 | |||||||||
伊那電との協定成立まで | ||||||||||
三、 | 第二期 | |||||||||
協定にもとづく試行期 | ||||||||||
四、 | 第三期 | |||||||||
村営期 | ||||||||||
五、 | 第四期 | |||||||||
村営売渡し以後 | ||||||||||
第三節 | 衛生と医療 | 909 | ||||||||
一、 | 医師 | |||||||||
二、 | 医薬 | |||||||||
三、 | 伝染病 | |||||||||
四、 | 種痘 | |||||||||
五、 | 衛生組合―保険協議会 | |||||||||
付 | 火葬場 | |||||||||
六、 | 高松病院 | |||||||||
1、 | 上郷診療所時代 | |||||||||
2、 | 高松病院時代 | |||||||||
第四節 | 消防 | 937 | ||||||||
一、 | 序 | |||||||||
二、 | 制度及び組織 | |||||||||
水防団 | ||||||||||
三、 | 飯田・鼎・上郷組合消防 | |||||||||
四、 | 消防費 | |||||||||
五、 | 消防設備 | |||||||||
六、 | 消防団活動 | |||||||||
第五節 | 兵事 | 953 | ||||||||
一、 | 徴兵令 | |||||||||
二、 | 軍人援護組織 | |||||||||
三、 | 在郷軍人会 | |||||||||
四、 | 戦没者名簿 | |||||||||
第六節 | 各区の自治運営と共有金穀 | 973 | ||||||||
一、 | 各区の自治運営 | |||||||||
二、 | 各区有志共有財産―金穀 | |||||||||
飯沼区の金穀会計 | ||||||||||
別府区金穀会計 | ||||||||||
その他の区の金穀会計 | ||||||||||
第三章 | 戸籍・戸数・人口 | 1001 | ||||||||
第一節 | 明治初期の戸籍 | 1001 | ||||||||
宗門帳記載年齢の誤り | ||||||||||
改名命令 | ||||||||||
無籍者の入籍と付籍 | ||||||||||
神葬祭への転向 | ||||||||||
宗教と戸籍の分離 | ||||||||||
第二節 | 戸数・人口の推移 | 1010 | ||||||||
年齢構造 | ||||||||||
第四章 | 天竜川原の開拓 | 1014 | ||||||||
第一節 | 江戸時代の天竜川原 | 1014 | ||||||||
川除け | ||||||||||
第二節 | 明治以後の天竜川原 | 1021 | ||||||||
明治期の川原田地 | ||||||||||
堤防の建設 | ||||||||||
上郷・喬木両村境の確定―堤防内川敷の民有化 | ||||||||||
川原新田の耕地整理―割り地 | ||||||||||
第五章 | 水利 | 1039 | ||||||||
第一節 | 竜西一貫水路 | 1039 | ||||||||
第二節 | 上水道の建設 | 1044 | ||||||||
一、 | 高松水道 | |||||||||
二、 | 平和水道 | |||||||||
三、 | 高陵中学校への飯田水道導入 | |||||||||
四、 | 別府地区への飯田市水道導入 | |||||||||
五、 | 村営水道の建設 | |||||||||
第六章 | 野底山の経営 | 1051 | ||||||||
はじめに | はじめに―山林利用の変化 | |||||||||
第一節 | 地租改正―山野の官民有区分決定 | 1052 | ||||||||
第二節 | 野底山規定書の改変 | 1065 | ||||||||
第三節 | 五平治山の買収 | 1079 | ||||||||
第四節 | 権現山との境界紛争解決 | 1080 | ||||||||
第五節 | 上飯田村東野及び飯田町の入会権解消 | 1082 | ||||||||
第六節 | 施業案の編成と実施 | 1087 | ||||||||
第七節 | 戦後現代 野底山経営の特徴 | 1091 | ||||||||
一、 | 村財政との関係 | |||||||||
二、 | 直営製材工場その他 | |||||||||
第七章 | 産業 | 1097 | ||||||||
第一節 | 産業構造の変遷 | 1097 | ||||||||
一、 | 明治初中期 | |||||||||
綿打の出稼 | ||||||||||
養蚕業への傾斜 | ||||||||||
自由企業の気運と大家の没落 | ||||||||||
勧業社 | ||||||||||
二、 | 大正・昭和戦前期 | |||||||||
三、 | 戦後現代期 | |||||||||
第二節 | 農業 | 1115 | ||||||||
一、 | 米作 | |||||||||
二、 | 麦作 | |||||||||
三、 | その他の普通作 | |||||||||
四、 | 蔬菜 | |||||||||
五、 | 果樹 | |||||||||
六、 | 畜産 | |||||||||
第三節 | 蚕糸業 | 1132 | ||||||||
一、 | 養蚕 | |||||||||
二、 | 蚕種製造 | |||||||||
原六右衛門 | ||||||||||
三、 | 製糸業 | |||||||||
組合製糸上郷館 | ||||||||||
第四節 | 機染業 | 1151 | ||||||||
一、 | 染物業 | |||||||||
二、 | 機織業 | |||||||||
第五節 | 養鯉業 | 1160 | ||||||||
第六節 | 農地の所有状態と経営規模 | 1163 | ||||||||
一、 | 明治から昭和戦前の状態 | |||||||||
二、 | 戦後の農地改革 | |||||||||
第七節 | 農業技術と肥料の進歩 | 1171 | ||||||||
一、 | 農業技術の改良 | |||||||||
二、 | 農器具 | |||||||||
三、 | 肥料 | |||||||||
第八節 | 農業団体 | 1183 | ||||||||
一、 | 勧業会―農会 | |||||||||
二、 | 産業組合―農業会―農業協同組合 | |||||||||
飯沼信用組合 | ||||||||||
上郷信用販売購売組合 | ||||||||||
両産業組合の合併 | ||||||||||
第九節 | 商工業の趨勢 | 1198 | ||||||||
第八章 | 交通 | 1204 | ||||||||
一、 | 道路 | |||||||||
二、 | 県道飯島飯田線―伊那街道 | |||||||||
三、 | 竜西線 | |||||||||
付 | 永代橋 | |||||||||
四、 | 竜坂線 | |||||||||
付 | 道路と集落 | |||||||||
五、 | 別府線 | |||||||||
付 | 加賀沢橋 | |||||||||
六、 | 阿島線―喬木線 | |||||||||
七、 | 南條線 | |||||||||
八、 | 通学道路 | |||||||||
中央線 | ||||||||||
南線 | ||||||||||
飯沼線 | ||||||||||
南條線 | ||||||||||
九、 | 昭和新道 | |||||||||
1、 | 元善光寺停車場松尾線―国道一五三号線 | |||||||||
2、 | 桜畑線 | |||||||||
3、 | 米ノ原線 | |||||||||
第九章 | 村外への発展 | 1260 | ||||||||
第一節 | 海外移民 | 1260 | ||||||||
一、 | 北米移民 | |||||||||
二、 | 国策と満州移民 | |||||||||
三、 | 戦後の移民 | |||||||||
第二節 | 岩手開拓園 | 1266 | ||||||||
一、 | 土地確保と入植 | |||||||||
二、 | 経営 | |||||||||
三、 | 母村との提携連絡 | |||||||||
四、 | 結び | |||||||||
第三節 | 東京上郷会 | 1281 | ||||||||
第十章 | 教育 | 1285 | ||||||||
第一節 | 寺子屋 館松千足 代田斉 | 1285 | ||||||||
第二節 | 小学校 | 1292 | ||||||||
学校経理 | ||||||||||
座光寺学校時代 | ||||||||||
上郷尋常小学校 | ||||||||||
上郷東西二校制時代 | ||||||||||
学校統合 | ||||||||||
上郷尋常高等小学校 | ||||||||||
運動競技 | ||||||||||
上郷国民学校時代 | ||||||||||
学童疎開 | ||||||||||
上郷小学校 | ||||||||||
第三節 | 中学校 | 1320 | ||||||||
一、 | 上郷中学校 | |||||||||
二、 | 高陵中学校 | |||||||||
第四節 | 青年教育 | 1328 | ||||||||
一、 | 農工補習学校 | |||||||||
二、 | 青年訓練所 | |||||||||
三、 | 青年学校 | |||||||||
四、 | 農工技術学校 | |||||||||
第五節 | 社会教育 | 1339 | ||||||||
一、 | 公民館 | |||||||||
二、 | 図書館 | |||||||||
第十一章 | 各種団体等 | 1351 | ||||||||
第一節 | 青年団 | 1351 | ||||||||
一、 | 火消組と若連 | |||||||||
二、 | 青年会―青年団 | |||||||||
第二節 | 婦人会 | 1364 | ||||||||
第三節 | 天理教 | 1370 | ||||||||
一、 | 伊那大教会 | |||||||||
二、 | 信郷分教会 | |||||||||
三、 | 上郷分教会 | |||||||||
第四節 | 黒田報徳社 | 1375 | ||||||||
編纂後期 | 1383 | |||||||||
章節 | 目次 | 頁 |