章節 | 目次 | 頁 | ||||||||
序編 | 村の自然環境 | 1 | ||||||||
第一章 | 村の位置 | 3 | ||||||||
第二章 | 村の地形・地質 | 5 | ||||||||
第一節 | 木曽山地 | 5 | ||||||||
第二節 | 飯田盆地 | 7 | ||||||||
伊那層の分布 | ||||||||||
洪積期の天竜層 | ||||||||||
段丘の形成 | ||||||||||
現河岸の沖積期段丘 | ||||||||||
山麓扇状地の開析と土石流 | ||||||||||
第三章 | 水系 | 14 | ||||||||
第一節 | 河川 | 14 | ||||||||
第二節 | 地下水と飲用水 | 16 | ||||||||
第一 | 考古編 | 21 | ||||||||
はじめに | はじめに | 23 | ||||||||
第一章 | 旧石器時代(先土器時代) | 24 | ||||||||
一、 | 旧石器文化 | |||||||||
二、 | 土器の出現 | |||||||||
第二章 | 縄文時代 | 28 | ||||||||
一、 | 縄文草創期 | |||||||||
二、 | 同早期 | |||||||||
三、 | 同前期 | |||||||||
四、 | 同中期 | |||||||||
五、 | 同後期 | |||||||||
六、 | 同晩期 | |||||||||
七、 | 伊賀良における縄文時代の主要遺跡 | |||||||||
1、 | 立野遺跡 | |||||||||
2、 | 山口遺跡 | |||||||||
3、 | 西ノ原遺跡 | |||||||||
4、 | 中央道遺跡調査の縄文時代遺跡 | |||||||||
第三章 | 弥生時代 | 38 | ||||||||
一、 | 前期 | |||||||||
二、 | 中期 | |||||||||
三、 | 後期 | |||||||||
四、 | 伊賀良における弥生時代の主要遺跡 | |||||||||
1、 | 大東・酒屋前・滝沢尻遺跡 | |||||||||
2、 | 上金谷遺跡 | |||||||||
第四章 | 古墳時代 | 45 | ||||||||
一、 | 古墳の概念 | |||||||||
二、 | 古墳の変遷 | |||||||||
1、 | 前期古墳 | |||||||||
2、 | 後期古墳 | |||||||||
三、 | 伊賀良の古墳 | |||||||||
四、 | 古墳時代の遺跡 | |||||||||
第五章 | 歴史時代の遺跡 | 55 | ||||||||
一、 | 平安時代の伊賀良の遺跡 | |||||||||
二、 | 中世の伊賀良の遺跡 | |||||||||
第六章 | 伊賀良の遺跡概観 | 61 | ||||||||
第二 | 古代・中世編 | 69 | ||||||||
第一章 | 古代 | 71 | ||||||||
第一節 | 古代概説 | 71 | ||||||||
第二節 | 条里制と古代水田 | 74 | ||||||||
条里制 | ||||||||||
伊賀良村北方の条里制跡 | ||||||||||
その他の古代水田地域 | ||||||||||
第三節 | 東山道と育良駅 | 78 | ||||||||
育良駅址諸説 | ||||||||||
殿岡の育良駅址推定場所 | ||||||||||
殿岡駅址説批判・付記 | ||||||||||
第四節 | 荘園の発達と地方における武士の発生 | 85 | ||||||||
荘園の発達と律令制国家の頽発 | ||||||||||
名主・武士の発生 | ||||||||||
伊那郡の荘園 | ||||||||||
伊賀良庄 | ||||||||||
伊賀良庄年貢の掠奪 | ||||||||||
農業技術 | ||||||||||
第二章 | 中世 | 89 | ||||||||
第一節 | 概説 | 89 | ||||||||
一、 | 鎌倉時代 | |||||||||
二、 | 南北朝と室町時代 | |||||||||
貨幣流通の拡大と商業・手工業の発達 | ||||||||||
戦国大名の土地構造と新しい方向 | ||||||||||
農業技術 | ||||||||||
第二節 | 鎌倉時代の伊賀良 | 93 | ||||||||
伊賀良庄の地頭 | ||||||||||
地頭代官の四条金吾頼基 | ||||||||||
地頭居館址と古井筋跡 | ||||||||||
名主と在家 | ||||||||||
第三節 | 室町時代の伊賀良 | 97 | ||||||||
一、 | 小笠原氏と伊賀良庄 | |||||||||
小笠原貞宗 | ||||||||||
長秀と大塔合戦 | ||||||||||
政康と結城合戦 | ||||||||||
小笠原氏の内部争い | ||||||||||
二、 | 室町時代の伊賀良諸郷 | |||||||||
大瀬木・三日市場の開発 | ||||||||||
三、 | 小笠原氏と伊賀良井の開発 | |||||||||
一色について | ||||||||||
四、 | 小笠原氏関係の伝承・遺跡 | |||||||||
第四節 | 戦国期の伊賀良 | 108 | ||||||||
一、 | 武田氏の伊那経略 | |||||||||
二、 | 武田氏の衰滅と織田・徳川軍の侵入 | |||||||||
坂西氏叛き | ||||||||||
小笠原信嶺これを討つ | ||||||||||
三、 | 武田・織田・徳川の領有形態 | |||||||||
武田氏の領有形態 | ||||||||||
二つの殿岡さし出し帳 | ||||||||||
貫文高と石高 | ||||||||||
第三 | 近世論 | 123 | ||||||||
第一章 | 支配関係の変遷 | 125 | ||||||||
第二章 | 近世初期の支配形態と農村 | 130 | ||||||||
第一節 | 土地制度―検地帳の検討 | 130 | ||||||||
一、 | 秀吉の天正検地―下殿岡村検地帳 | |||||||||
二、 | 小笠原氏の慶長検地―下殿岡村検地帳 | |||||||||
下殿岡村境の変更 | ||||||||||
三、 | 脇坂氏の慶安検地―下殿岡村検地帳 | |||||||||
開墾の進展 | ||||||||||
四、 | その他の村の脇坂検地帳 | |||||||||
1、 | 土地生産力の比較 | |||||||||
2、 | 上殿岡村の田の分布 | |||||||||
3、 | 大瀬木村の耕地分布 | |||||||||
4、 | 三日市場村の耕地分布 | |||||||||
5、 | 各村の名請百姓・作人 | |||||||||
第二節 | 貢租 | 162 | ||||||||
一、 | 京極・小笠原交替期 | |||||||||
二、 | 天領時代(慶長十八年―天和二年) | |||||||||
三、 | 脇坂時代(元和三年―寛文十二年) | |||||||||
1、 | 地方知行と藩の規制 | |||||||||
2、 | 地方知行の資料 | |||||||||
第三節 | 村の構成 | 188 | ||||||||
一、 | 役百姓 | |||||||||
二、 | 家族形態と農業経営 | |||||||||
三、 | 肝煎と小使 | |||||||||
第三章 | 中期以後の支配形態と農村 | 208 | ||||||||
第一節 | 飯田領の新田検地と年貢 | 208 | ||||||||
一、 | 各村の新田増加状況 | |||||||||
二、 | 切り添え | |||||||||
三、 | 新田の石盛り・年貢率 | |||||||||
第二節 | 飯田藩年貢米の処理 | 224 | ||||||||
飯田藩の御定借 | ||||||||||
第三節 | 小物成・賦役・その他 | 232 | ||||||||
二、 | 賦役 | |||||||||
御城役と臨時役 | ||||||||||
御小人勤め | ||||||||||
三、 | 運上金・国役金 | |||||||||
第四節 | 高須藩領中村の年貢 | 240 | ||||||||
一、 | 高須藩領年貢の特色 | |||||||||
二、 | 年貢米の処理 | |||||||||
三、 | 賦役―領内普請のプール制 | |||||||||
第五節 | 木曽伝馬の助郷役 | 263 | ||||||||
第六節 | 村貫ぎ・村役 | 278 | ||||||||
一、 | 村貫ぎ | |||||||||
二、 | 村役 | |||||||||
三、 | 下郷貫ぎ | |||||||||
第七節 | 御触書・村定め | 292 | ||||||||
一、 | 御触書 | |||||||||
二、 | 村定め | |||||||||
第八節 | 村方三役と五人組 | 302 | ||||||||
第九節 | 各村の庄屋交替と村方騒動 | 310 | ||||||||
一、 | 大瀬木村の庄屋交替 | |||||||||
二、 | 中村の庄屋交替と村方騒動 | |||||||||
三、 | 下殿岡村の庄屋交替と村役人の勢力争い | |||||||||
四、 | その他の村の庄屋交替 | |||||||||
第十節 | 農民階層の分化変動 | 326 | ||||||||
第十一節 | 借屋・借地人 | 329 | ||||||||
第十二節 | 戸口・家族構成・婚姻 | 339 | ||||||||
一、 | 宗門帳 | |||||||||
二、 | 各村の戸数・人口 | |||||||||
三、 | 家族構成 | |||||||||
四、 | 婚姻 | |||||||||
五、 | 村民の宗派・寺院 | |||||||||
第十三節 | 下人・奉公人 | 356 | ||||||||
第十四節 | 厄介・勘当・無宿者 | 362 | ||||||||
第四章 | 水利と井せぎ | 367 | ||||||||
第一節 | 伊賀良井 | 368 | ||||||||
一、 | 開さくの歴史 | |||||||||
二、 | 松川一番堰の権限 | |||||||||
三、 | 井の慣行 | |||||||||
四、 | 井普請・井貫ぎ | |||||||||
第二節 | 荒井(新井) | 389 | ||||||||
一、 | 開さくの歴史 | |||||||||
二、 | 分水・水割・枝井口 | |||||||||
三、 | 井貫ぎ・井普請 | |||||||||
第三節 | 茂都計川筋、元禄の水論 | 399 | ||||||||
一、 | 宮川井水論 | |||||||||
二、 | 大瀬木村と中村の水論 | |||||||||
三、 | 安政元年の争論 | |||||||||
第四節 | 三日市場井の水論 | 412 | ||||||||
一、 | 三日市場村と中村大洞水論 | |||||||||
二、 | 長清寺用水論 | |||||||||
三、 | 三日市場村と大中村の水論 | |||||||||
四、 | 鳥屋井水論 | |||||||||
第五節 | 水溜堤 | 424 | ||||||||
第六節 | 井せぎと水車 | 427 | ||||||||
第五章 | 山林の利用と入会山論 | 429 | ||||||||
第一節 | 近世の山の利用形態 | 429 | ||||||||
第二節 | 西山の入会山論 | 430 | ||||||||
一、 | 大瀬木山の入会論争 | |||||||||
1、 | 上殿岡村との山論 | |||||||||
2、 | 下殿岡村との山論 | |||||||||
3、 | 竜丘地区五か村との山論 | |||||||||
4、 | 沢志路山論 | |||||||||
二、 | 清内路山入会論 | |||||||||
三、 | 高鳥屋山・大明神原争論 | |||||||||
四、 | 梨子野山論 | |||||||||
五、 | 中村・久米村の黒川入会論 | |||||||||
六、 | 笠松山入会論 | |||||||||
七、 | 丸山兵部の新田計画と藩の草山調べ | |||||||||
八、 | 闇り沢山論 | |||||||||
九、 | 押ノ沢山論 | |||||||||
十、 | 太平部落の開発 | |||||||||
第三節 | 東部段丘崖・南部丘陵の刈敷山論 | 488 | ||||||||
一、 | 下殿岡村と名古熊村の境論 | |||||||||
二、 | 下殿岡村と駄科村の境論 | |||||||||
三、 | 経塚原刈敷山論 | |||||||||
四、 | 臼井刈敷山論 | |||||||||
五、 | 牧山刈敷山論 | |||||||||
六、 | 光明寺洞刈敷山論 | |||||||||
第四節 | 入会山の利用と管理 | 502 | ||||||||
斧運上 | ||||||||||
屋材木 | ||||||||||
鍛冶炭 | ||||||||||
杣稼ぎ | ||||||||||
木地師 | ||||||||||
上木売り | ||||||||||
入会山の自主管理 | ||||||||||
御林 | ||||||||||
第五節 | 笠松山騒動 | 512 | ||||||||
第六節 | 私有林 | 514 | ||||||||
第六章 | 交通 | 520 | ||||||||
第一節 | 伊那街道 | 520 | ||||||||
第二節 | 庶民の旅行 | 521 | ||||||||
一、 | 関所と手形 | |||||||||
二、 | 順礼の旅 | |||||||||
三、 | 上層百姓の旅 | |||||||||
四、 | 講社代参旅行 | |||||||||
五、 | おかげ参り | |||||||||
六、 | 伊那の札所 | |||||||||
第三節 | 中馬による商品荷物の動き | 536 | ||||||||
一、 | 中馬の発達・宿場との争い | |||||||||
二、 | 飯田を中心とする商業の発達 | |||||||||
第四節 | 馬頭観世音 | 546 | ||||||||
第五章 | 産業 | 548 | ||||||||
第一節 | 農業 | 548 | ||||||||
一、 | 耕地 | |||||||||
二、 | 田の作物・稲の品種 | |||||||||
三、 | 畑作物 | |||||||||
四、 | 肥料 | |||||||||
五、 | 猪対策 | |||||||||
第二節 | 商品作物と家内工業的副業 | 558 | ||||||||
一、 | 干柿 | |||||||||
二、 | 養蚕と糸引き | |||||||||
三、 | 殿岡もめんと真綿 | |||||||||
四、 | 紙すき | |||||||||
五、 | 酒造業 | |||||||||
六、 | 三日市場の土鍋焼と朝臣洞の窯跡 | |||||||||
七、 | 水車 | |||||||||
第三節 | 村の手工業者 | 574 | ||||||||
第四節 | 商業 | 576 | ||||||||
一、 | 飯田藩領農村の商業 | |||||||||
二、 | 高須藩領中村の商業 | |||||||||
第五節 | 農村の金融―無尽講 | 582 | ||||||||
付 | 中村の富くじ | |||||||||
第六節 | 地主・小作制の発達 | 592 | ||||||||
一、 | 土地の売買 | |||||||||
二、 | 領主より多い地主取分 | |||||||||
三、 | 大地主の発生―平田家 | |||||||||
第八章 | 凶作・飢饉と貯穀 | 606 | ||||||||
第一節 | 年貢減免・御借米・御救米 | 606 | ||||||||
第二節 | 天明の飢饉 | 612 | ||||||||
第三節 | 天保の飢饉 | 617 | ||||||||
第四節 | 備荒貯蓄 | 621 | ||||||||
一、 | 飯田藩の貯穀政策 | |||||||||
二、 | 大瀬木村の貯穀 | |||||||||
三、 | 高須領中村の貯穀 | |||||||||
第九章 | 藩財政の窮乏と農民 | 631 | ||||||||
第一節 | 御用金と家臣の俸禄減給 | 631 | ||||||||
第二節 | 享保の二分増米 | 639 | ||||||||
第三節 | 千人講騒動、付鼎足講 | 643 | ||||||||
第四節 | 御定借・御仕送・御用達 | 653 | ||||||||
一、 | 藩財政は富商・豪農の手へ | |||||||||
二、 | 平田喜三郎、御仕送御用達となる | |||||||||
三、 | 藩借財の後始末 | |||||||||
第五節 | 高須藩の財政困窮 | 660 | ||||||||
第十章 | 維新の変革と農村 | 663 | ||||||||
第一節 | 国内防備と冥加上納金 | 663 | ||||||||
第二節 | 野組の編成と鉄砲献上 | 665 | ||||||||
第三節 | 水戸浪士の通行 | 667 | ||||||||
第四節 | 維新の動乱と夫役出動 | 672 | ||||||||
一、 | 長州征伐不参のいきさつ | |||||||||
二、 | 飯田藩主、大阪警衛役へ | |||||||||
三、 | 東山道総督軍に属し出役 | |||||||||
第五節 | 官軍先鋒隊の伊那通過 | 678 | ||||||||
第六節 | 物価騰貴と世直し一揆 | 686 | ||||||||
第七節 | 二分金騒動 | 691 | ||||||||
第十一章 | 寺院・神社 | 698 | ||||||||
第一節 | 寺院 | 698 | ||||||||
一、 | 長清寺 | |||||||||
二、 | 惣教寺 | |||||||||
三、 | 円通寺 | |||||||||
四、 | 増泉寺 | |||||||||
五、 | 真慶寺 | |||||||||
六、 | 堂庵 | |||||||||
第二節 | 神社 | 715 | ||||||||
一、 | 育良社 | |||||||||
二、 | 熊野社 | |||||||||
三、 | 矢抜社 | |||||||||
四、 | 神明社 | |||||||||
五、 | 八幡社 | |||||||||
六、 | 奥位社 | |||||||||
七、 | 八幡社(中村) | |||||||||
八、 | その他 | |||||||||
九、 | 神社と芸能娯楽 | |||||||||
◎ | 江戸時代、飯田藩領の米価表 | 729 | ||||||||
第四 | 近代編 | 733 | ||||||||
第一章 | 明治前半期の地方行政―二十二年町村制施行以前― | 735 | ||||||||
第一節 | 地方行政機構の変遷 | 735 | ||||||||
一、 | 戸籍区の設定 | |||||||||
二、 | 両中村一つになる | |||||||||
三、 | 大区小区制 | |||||||||
四、 | 第一次伊賀良村の誕生 | |||||||||
五、 | 伊賀良村の分離復旧 | |||||||||
六、 | 分離後の自治村 | |||||||||
七、 | 六か村連合戸長役場設けらる | |||||||||
第二節 | 新しい戸籍と戸数・人口 | 757 | ||||||||
第三節 | 地租改正 | 766 | ||||||||
一、 | 古い形の貢租―明治七年迄― | |||||||||
二、 | 地租改正作業の経過 | |||||||||
三、 | 地価修正運動の展開 | |||||||||
四、 | 農民自身の手による土地改め出し | |||||||||
五、 | 還禄士族への土地払下げ―長清寺・円通寺の上地官有地― | |||||||||
第四節 | 学校教育の発足 | 790 | ||||||||
一、 | 学校創立金・元資金募集 | |||||||||
二、 | 学区取締と学校世話人 | |||||||||
三、 | 各村学校の創立 | |||||||||
四、 | 初期学校の実態 | |||||||||
五、 | 学校経営費 | |||||||||
六、 | 三日市場支校の独立 | |||||||||
七、 | 伊賀良学校への統一 | |||||||||
第五節 | 開産社 | 808 | ||||||||
第六節 | 旧藩貯穀の引継運営 | 811 | ||||||||
第七節 | 衛生行政 | 818 | ||||||||
第八節 | 初期の徴兵制 | 823 | ||||||||
第二章 | 町村制実施以後の村政―明治二十二年から― | 825 | ||||||||
第一節 | 町村制施行による第二次伊賀良村の成立 | 825 | ||||||||
一、 | 成立の経過 | |||||||||
二、 | 新村の性格 | |||||||||
第二節 | 区の自治運営 | 834 | ||||||||
一、 | 区の会計面から | |||||||||
二、 | 区の規約―区民権をめぐって― | |||||||||
第三節 | 村財政の推移と特徴 | 851 | ||||||||
一、 | 歳出 | |||||||||
二、 | 歳入 | |||||||||
第四節 | 学校の分離・統合をめぐる紛争―村政の最重要問題― | 868 | ||||||||
一、 | 中村支校の分離独立 | |||||||||
二、 | 上からの統一強制と紛争 | |||||||||
三、 | 大正十一年、再度学校統一問題おきる | |||||||||
四、 | 大不況下、村債による校舎建築 | |||||||||
五、 | 郡下の難治村といわれる | |||||||||
六、 | 中村部校の廃止 | |||||||||
第五節 | 学校教育 | 899 | ||||||||
一、 | 小学校 | |||||||||
二、 | 中学校 | |||||||||
三、 | 実業補習学校―青年学校 | |||||||||
四、 | 下伊那農業高校定時制分校 | |||||||||
第六節 | 一市七か村合併による新飯田市の発足 | 925 | ||||||||
第七節 | 戸数・人口 | 528 | ||||||||
一、 | 戸口の推移 | |||||||||
二、 | その他の人口動態・構造 | |||||||||
◎ | 歴代名誉職(村長・助役・村会議員) | 933 | ||||||||
第三章 | 山林原野の諸問題 | 939 | ||||||||
第一節 | 山林原野の官民有区分 | 939 | ||||||||
一、 | 筑摩県による官民有区分 | |||||||||
二、 | 長野県による再調査と民有地取上げ | |||||||||
三、 | 「地元」「入山」の称を廃し、「共有」となる | |||||||||
第二節 | 官有地の民有引直し、払下げ | 950 | ||||||||
一、 | 旧大瀬木村の官有地返還運動 | |||||||||
細田原の分割 | ||||||||||
二、 | 中村、二つ山官有地の払下げ | |||||||||
三、 | 三日市場村の官有地払下げ | |||||||||
四、 | 社寺官有地の返還 | |||||||||
第三節 | 大平山をめぐる諸問題 | 963 | ||||||||
一、 | 地租改正時における大平部落との紛争 | |||||||||
二、 | 大平部落の専断行為(明治中期) | |||||||||
三、 | 四区二つに割れて法廷で争う | |||||||||
四、 | 大平区民の共有山侵略 | |||||||||
五、 | 共有山の分割 | |||||||||
六、 | 摺小木山御料林の払下げ | |||||||||
七、 | 飯田市上水道の水源地 | |||||||||
八、 | 奥石牧場=スキー・キャンプ場 | |||||||||
九、 | 村有への統一と分裂 | |||||||||
第四節 | 地租改正時における押ノ沢山論 | 989 | ||||||||
一、 | 松川入り入会六か村、四か村排除を計る | |||||||||
二、 | 伊藤大八を立て大審院まで争い勝つ | |||||||||
三、 | 勝訴後の争いと山の分割 | |||||||||
第五節 | 地租改正時における闇り沢山論 | 998 | ||||||||
一、 | 入会公有地地引帳提出までの紛争 | |||||||||
二、 | 法廷で争い、四審のすえ勝つ | |||||||||
第六節 | 清内路山入会その後 | 1005 | ||||||||
第七節 | 高鳥屋山・大明神原入会その後 | 1008 | ||||||||
一、 | 分割までの経緯 | |||||||||
二、 | 大明神原開墾と小作争議 | |||||||||
第八節 | 梨子野山預り入会その後 | 1015 | ||||||||
第九節 | 笠松・大沢山の経営管理 | 1019 | ||||||||
一、 | 共有山入費 | |||||||||
二、 | 共有山の保護管理 | |||||||||
三、 | 山の立木売却、その他 | |||||||||
第十節 | 本沢山の経営管理 | 1039 | ||||||||
第十一節 | 地付刈敷山の行方 | 1048 | ||||||||
一、 | 大瀬木の秣山 | |||||||||
二、 | 北方の茸山 | |||||||||
三、 | 三日市場の地付刈敷山争論 | |||||||||
第十一節 | 各区の共有林野と私有林 | 1062 | ||||||||
一、 | 各区の共有林野 | |||||||||
二、 | 私有林 | |||||||||
第四章 | 井せぎと水利 | 1066 | ||||||||
第一節 | 伊賀良井と荒井 | 1066 | ||||||||
一、 | 藩の置きみやげ―風越の井林 | |||||||||
二、 | 井の維持管理 | |||||||||
三、 | 松川の水利権をめぐって | |||||||||
四、 | 荒井取入口工作についての両井紛争 | |||||||||
第二節 | 黒川の利用計画 | 1089 | ||||||||
一、 | 江戸時代の引水計画 | |||||||||
二、 | 明治期の関心 | |||||||||
三、 | 大正期、村営電気計画 | |||||||||
四、 | 昭和初期、伊山耕地整理組合計画 | |||||||||
五、 | 清水沢の引水実現と沢城温水溜池 | |||||||||
六、 | 飯田高原観光開発 | |||||||||
第三節 | 茂都計川井せぎの水利慣行 | 1098 | ||||||||
一、 | 災害復旧工事による分水率の変更 | |||||||||
二、 | 中村区のおびただしい小井せぎ | |||||||||
第四節 | 村内井せぎの総括 | 1102 | ||||||||
第五章 | 交通 | 1105 | ||||||||
第一節 | 伊那街道に代わる三州街道の開さく | 1105 | ||||||||
第二節 | 久米街道の改修 | 1110 | ||||||||
第三節 | 道路改修と村費補助 | 1114 | ||||||||
第六章 | 産業 | 1121 | ||||||||
第一節 | 産業構造の移り変わり | 1121 | ||||||||
一、 | 明治初中期 | |||||||||
二、 | 明治末・大正・昭和戦前期 | |||||||||
三、 | 昭和二十年以後(戦後) | |||||||||
第二節 | 農業 | 1141 | ||||||||
一、 | 米作 | |||||||||
二、 | 田の裏作物 | |||||||||
三、 | 畑作(普通作) | |||||||||
四、 | 果樹 | |||||||||
五、 | 畜産 | |||||||||
第三節 | 養蚕と蚕糸業 | 1155 | ||||||||
一、 | 養蚕 | |||||||||
二、 | 桑苗 | |||||||||
三、 | 蚕種 | |||||||||
四、 | 製糸業 | |||||||||
五、 | 真綿 | |||||||||
第四節 | 水引、その他の農家副業 | 1177 | ||||||||
第五節 | 農地の所有状態と経営規模 | 1180 | ||||||||
一、 | 明治から昭和戦前の状態 | |||||||||
二、 | 戦後の農地改革 | |||||||||
第六節 | 農業技術と肥料の進歩 | 1188 | ||||||||
一、 | 農業技術の改良 | |||||||||
二、 | 農具 | |||||||||
三、 | 肥料 | |||||||||
第七節 | 農業団体 | 1201 | ||||||||
一、 | 明治期の農業振興団体(共修社ほか) | |||||||||
二、 | 農会 | |||||||||
三、 | 産業組合―農業会―農業協同組合 | |||||||||
第八節 | 商工業 | 1227 | ||||||||
一、 | 中村の今昔 | |||||||||
二、 | 現在の商工業 | |||||||||
付編 | 人物誌(年代順・二五人) | 1239 | ||||||||
編集後記 | 1269 | |||||||||
章節 | 目次 | 頁 |