章節 | 目次 | 頁 | ||||||||
第一章 | 拡大する商業 | |||||||||
第一節 | 信州の横浜 | 3 | ||||||||
一 | 生糸・織物でにぎわう上田 | 3 | ||||||||
巳(み)年騒動からの復興 | ||||||||||
明治天皇巡行当時の上田 | ||||||||||
上田から横浜へ運ばれた生糸 | ||||||||||
品質を高める上田の生糸 | ||||||||||
養蚕農家と繭の売買 | ||||||||||
上田の繊維商人 | ||||||||||
二 | 小売店の動き | 6 | ||||||||
明治初期の商店街 | ||||||||||
商店宣伝の工夫 | ||||||||||
士族の商法と街のようす | ||||||||||
舶来品(はくらいひん)の販売 | ||||||||||
三 | 銀行が集まる上田 | 8 | ||||||||
蚕糸業の盛んな上田小県地方 | ||||||||||
第十九国立銀行の開業 | ||||||||||
私立銀行と銀行類似会社 | ||||||||||
銀行の発生形態 | ||||||||||
庶民金融 | ||||||||||
小規模な商工業者の金融 | ||||||||||
四 | 上田商人の動き | 12 | ||||||||
上田の商業を論ずる重田 | ||||||||||
生産都市から消費都市へ | ||||||||||
牧内元太郎の論説 | ||||||||||
販売を競う上田の商人 | ||||||||||
第二節 | 新しい流通へ | 16 | ||||||||
一 | 上田停車場と新しい町 | 16 | ||||||||
松尾町の形成 | ||||||||||
人や物の流れの変化 | ||||||||||
天神町の形成 | ||||||||||
二 | 鉄道開通で変わったこと | 17 | ||||||||
増加する上田駅の貨物の発着量 | ||||||||||
多様な業種で活躍する商人たち | ||||||||||
繁華街は北から南へ | ||||||||||
旧繁華街の危機感とえびす講 | ||||||||||
中南信方面も上田の商圏に | ||||||||||
三 | 商工会議所の発足と活動 | 19 | ||||||||
上田商業会議所の誕生 | ||||||||||
初代の正副会頭 | ||||||||||
国・県に対する意見や要望 | ||||||||||
上田蚕糸専門学校の誘致 | ||||||||||
営業税法の改正と廃止運動 | ||||||||||
四 | 繭糸(けんし)市場と倉庫 | 21 | ||||||||
繭糸市場の設立 | ||||||||||
上田小県地方の繭糸の取引高 | ||||||||||
国立第十九銀行と製糸業 | ||||||||||
製糸金融と倉庫会社の設立 | ||||||||||
第三節 | 養蚕景気の中で | 23 | ||||||||
一 | 篠ノ井線の開通と上田の商圏 | 23 | ||||||||
運送業者への影響 | ||||||||||
旅館や飲食店への影響と解決策 | ||||||||||
一般商工業者への影響 | ||||||||||
商工業の不振と打開策の提言 | ||||||||||
製糸業等の工業振興 | ||||||||||
小県蚕業学校の学科増設の提案 | ||||||||||
二 | 養蚕景気と小売業 | 25 | ||||||||
にぎわう上田のえびす講 | ||||||||||
購買力が増え活気ある町へ | ||||||||||
上田駅の旅客数の増加 | ||||||||||
明るくなった商店街 | ||||||||||
道路の整備と市街地の発展 | ||||||||||
三 | 産業組合と商圏擁護運動 | 28 | ||||||||
産業組合の生い立ちと発達 | ||||||||||
産業組合に対する対策 | ||||||||||
高まる商権擁護意識 | ||||||||||
全日本商権擁護連盟の設立 | ||||||||||
長野県支部上小分会の活動 | ||||||||||
商工業者の悲劇 | ||||||||||
第四節 | 大不況から戦時経済へ | 31 | ||||||||
一 | 恐慌下の金融 | 31 | ||||||||
押し寄せる不況の波 | ||||||||||
合併によって力を持つ銀行 | ||||||||||
農村金融の中心産業組合 | ||||||||||
信濃銀行支払い停止の影響 | ||||||||||
八十二銀行の発足 | ||||||||||
二 | 大不況の中の商戦 | 34 | ||||||||
上田商人の心意気 | ||||||||||
産業組合と熾烈(しれつ)な販売競争 | ||||||||||
商工業者の訴えと商人の努力 | ||||||||||
三 | 北上州(群馬県北西部)に広がる商圏 | 37 | ||||||||
結びつきの深い両地域 | ||||||||||
商権拡大の期待 | ||||||||||
鳥居峠の改修と往来の増加 | ||||||||||
省営バスの運行と鉄道への夢 | ||||||||||
四 | 上田飛行場への期待 | 40 | ||||||||
飛行場の建設工事 | ||||||||||
祝賀式・開場式のにぎわい | ||||||||||
空の都への夢そして終戦 | ||||||||||
五 | 物資統制と配給制 | 42 | ||||||||
市民の借金と景気回復の兆(きざ)し | ||||||||||
次々に行われる経済統制 | ||||||||||
衣料・食料品の配給制度 | ||||||||||
米の配給制度と統制 | ||||||||||
衣料の切符制 | ||||||||||
商店の販売努力 | ||||||||||
六 | 小売店舗の整備 | 45 | ||||||||
企業整備令 | ||||||||||
転廃業の苦悩 | ||||||||||
豆腐屋さんの配給担当 | ||||||||||
終戦間近の商店 | ||||||||||
第五節 | 敗戦の中から | 48 | ||||||||
一 | 配給制から自由販売へ | 48 | ||||||||
敗戦直後の町の姿 | ||||||||||
配給制と生活必需品の不足 | ||||||||||
戦後のインフレと商店街 | ||||||||||
商店街に人出戻る | ||||||||||
自由販売時代の到来 | ||||||||||
二 | 復活する商店街 | 51 | ||||||||
二十一年当時の商業者の数 | ||||||||||
商店が増えて活気づく商店街 | ||||||||||
原町の道路拡張とバスの運行 | ||||||||||
原町から上田駅までの舗装道路 | ||||||||||
上田駅前の区画整備 | ||||||||||
えびす講復活 | ||||||||||
上田桜祭りと納涼煙火大会 | ||||||||||
七夕飾りコンクール | ||||||||||
三 | 商工業の組織 | 53 | ||||||||
上田商工会議所の再発足 | ||||||||||
新商工会議所法の制定と改正 | ||||||||||
経営者協会の上田支部設立 | ||||||||||
商業に関する諸団体の誕生 | ||||||||||
リンクストア協同組合の設立 | ||||||||||
商店街協同組合の誕生 | ||||||||||
第六節 | 経済成長前半(昭和三十年―四十年代)の商業 | 56 | ||||||||
一 | 商店街の再生 | 56 | ||||||||
戦後を克服し新しい発展へ | ||||||||||
道路の整備 | ||||||||||
商業地への復興 | ||||||||||
上田デパート | ||||||||||
二 | デパートの出現 | 57 | ||||||||
デパート出店に向けての調整 | ||||||||||
ほていやの登場 | ||||||||||
開店でにぎわうデパート | ||||||||||
ショッピング・センターの完成 | ||||||||||
店舗の近代化へ | ||||||||||
三 | 活発な小売業と卸業 | 59 | ||||||||
スーパー設置の背景 | ||||||||||
スーパーの開店 | ||||||||||
川辺町の動き | ||||||||||
小売店の変化 | ||||||||||
卸業の共同化と卸団地の造成 | ||||||||||
第七節 | 経済成長後半からバブル崩壊(昭和五十年―平成十年代)の商業 | 62 | ||||||||
一 | 大型店の展開 | 62 | ||||||||
大量販売店の足音 | ||||||||||
大型スーパー進出の決定 | ||||||||||
大型店の進出 | ||||||||||
大型店の出店の方法 | ||||||||||
大型店進出と人の流れの変化 | ||||||||||
二 | 小売店の動き | 65 | ||||||||
海野町商店街振興組合 | ||||||||||
大型店と商店街 | ||||||||||
外商へ向かう商店 | ||||||||||
生活圏が上田まで広がる北上州 | ||||||||||
上田市嬬恋区 | ||||||||||
三 | 新しい商業の形 | 69 | ||||||||
第二種大型スーパーの進出 | ||||||||||
進出の規制と地元商店街 | ||||||||||
出店が続く第一種大型店 | ||||||||||
便利さを追求するコンビニ | ||||||||||
上田市にはじめてのコンビニ | ||||||||||
四 | 大型店の撤退と中心商店街 | 72 | ||||||||
ユニーの撤退とほていやの移転 | ||||||||||
商店街の大型店対策 | ||||||||||
中心街の変遷 | ||||||||||
五 | レジャー産業 | 76 | ||||||||
娯楽の時代 | ||||||||||
上田市のレジャー産業 | ||||||||||
映画館の浮き沈み | ||||||||||
娯楽の選択 | ||||||||||
六 | 魅力ある街づくり | 77 | ||||||||
商圏調査報告書にみる商圏変化 | ||||||||||
通行量の調査 | ||||||||||
インターネットによる買い物 | ||||||||||
人の流れを呼び戻す街づくり | ||||||||||
個性あふれる店づくり | ||||||||||
第二章 | 変貌する交通 | |||||||||
第一節 | 近代化へ向けて | 85 | ||||||||
一 | 道路事情 | 85 | ||||||||
明治初期の道路 | ||||||||||
明治政府の道路整備 | ||||||||||
荷物運搬の変遷 | ||||||||||
車事情 | ||||||||||
二 | 明治天皇行幸 | 88 | ||||||||
巡幸(じゅんこう)に備えて道路整備 | ||||||||||
巡幸のようす | ||||||||||
三 | 第二線路の開通 | 90 | ||||||||
開通までの経過 | ||||||||||
第二線路開削の変遷 | ||||||||||
道路建設のようす | ||||||||||
道路開削後の交通の変化 | ||||||||||
第二節 | 信越線の開通 | 93 | ||||||||
一 | 信越線の全通 | 93 | ||||||||
信越鉄道会社の設立運動と解散 | ||||||||||
幻の中山道線 | ||||||||||
信越線の開通 | ||||||||||
二 | 上田駅の開業 | 94 | ||||||||
上田駅の開業まで | ||||||||||
上田駅の開業 | ||||||||||
駅開業後のようす | ||||||||||
三 | 大屋駅の開業 | 96 | ||||||||
大屋駅開業の経過 | ||||||||||
第三節 | 新しい展開 | 97 | ||||||||
一 | 篠ノ井線の開通 | 97 | ||||||||
篠(しの)ノ井線の開通 | ||||||||||
篠ノ井線開通の影響 | ||||||||||
二線路運輸の衰退 | ||||||||||
減少する乗降客と貨物 | ||||||||||
第二の維新に遭遇 | ||||||||||
二 | 自動車の登場 | 100 | ||||||||
乗合自動車 | ||||||||||
私鉄との競争 | ||||||||||
買収合併の乗合自動車業界 | ||||||||||
貨物自動車営業者の出現 | ||||||||||
貨物自動車の急増 | ||||||||||
道路損傷負担金と道路整備 | ||||||||||
自動車免許 | ||||||||||
三 | 北塩尻駅の新設 | 104 | ||||||||
新停車場設置に向けて | ||||||||||
停車場位置問題 | ||||||||||
北塩尻駅の開業 | ||||||||||
四 | 私鉄の敷設 | 105 | ||||||||
上田を中心に広がる私鉄網 | ||||||||||
丸子鉄道株式会社の設立 | ||||||||||
丸子鉄道の敷設 | ||||||||||
上田温泉電軌株式会社の設立 | ||||||||||
青木線 | ||||||||||
別所線 | ||||||||||
西丸子線 | ||||||||||
北東線の敷設運動 | ||||||||||
難産だった北東線 | ||||||||||
第四節 | 大不況から戦時体制へ | 108 | ||||||||
一 | 車両の国産化 | 108 | ||||||||
輸入が途絶えて | ||||||||||
二 | ガソリンの一滴は血の一滴 | 109 | ||||||||
ガソリンの自給率五% | ||||||||||
三 | ガソリン車から代燃車へ | 110 | ||||||||
代燃車の奨励 | ||||||||||
代燃車の普及 | ||||||||||
四 | 運送会社の統合 | 111 | ||||||||
上小貨物株式会社の設立 | ||||||||||
千曲自動車設立の経過 | ||||||||||
上田丸子電鉄の設立と経過 | ||||||||||
青木線の廃止 | ||||||||||
第五節 | 戦後の動き | 113 | ||||||||
一 | 汽車に殺到する客 | 113 | ||||||||
戦後の交通ルールづくりへ | ||||||||||
それでも汽車が動いている | ||||||||||
信越線では | ||||||||||
私鉄の状況 | ||||||||||
二 | 広がるバス路線 | 115 | ||||||||
敗戦直後の混乱 | ||||||||||
バス事業の発展 | ||||||||||
三 | 敗戦とトラック輸送 | 116 | ||||||||
敗戦直後のトラック輸送 | ||||||||||
統合企業体の解体 | ||||||||||
道路運送法の制定 | ||||||||||
特需景気による躍進 | ||||||||||
進む道路整備 | ||||||||||
第六節 | 経済成長の中で | 120 | ||||||||
一 | 急増する自家用車と道路整備 | 120 | ||||||||
一市民から見た上田市の交通 | ||||||||||
自家用車の伸びと交通量 | ||||||||||
主要道路の整備 | ||||||||||
三才山トンネルと新和田トンネル | ||||||||||
進む道路舗装 | ||||||||||
千曲川に新しい橋を | ||||||||||
自転車と歩行者の減少 | ||||||||||
二 | 鉄道輸送 | 123 | ||||||||
信越線の電化と複線化 | ||||||||||
鉄道の乗降客と物資の移動 | ||||||||||
三 | 伸びるトラックとバス輸送 | 125 | ||||||||
輸送事業の拡大 | ||||||||||
大手資本の進出 | ||||||||||
昭和三十年代はバスの時代 | ||||||||||
私鉄の廃止 | ||||||||||
第七節 | 高速交通時代 | 128 | ||||||||
一 | 交通体系の再構築 | 128 | ||||||||
中央自動車道と関越自動車道 | ||||||||||
長野新幹線の開業 | ||||||||||
上田駅周辺の整備 | ||||||||||
第三セクターしなの鉄道 | ||||||||||
二 | 都市基本計画による交通体系の整備 | 131 | ||||||||
上小三〇(サンマル)交通圏 | ||||||||||
三 | 高度化するトラック輸送 | 132 | ||||||||
流通の合理化 | ||||||||||
宅配便の登場 | ||||||||||
四 | 交通事故対策と今後の交通体系 | 133 | ||||||||
交通事故の増加 | ||||||||||
交通体系の見直し | ||||||||||
第三章 | 発展する通信 | |||||||||
第一節 | 近代化へ | 137 | ||||||||
一 | 郵便事始め | 137 | ||||||||
郵便事業発足 | ||||||||||
上田郵便取扱所 | ||||||||||
上田郵便局の海野町へ移転 | ||||||||||
郵便貯金 | ||||||||||
二 | 電信の敷設と利用 | 140 | ||||||||
電信の敷設 | ||||||||||
テレガラフ | ||||||||||
電信の利用 | ||||||||||
均一料金制 | ||||||||||
電報配達区域 | ||||||||||
三 | 電話の敷設 | 143 | ||||||||
官営か民営か | ||||||||||
県下へも電話が | ||||||||||
電話開通 | ||||||||||
第二節 | 新しいメディア | 145 | ||||||||
一 | 普及する新聞・ラジオ | 145 | ||||||||
新聞が情報源 | ||||||||||
新聞発行 | ||||||||||
新しいタイプの新聞 | ||||||||||
ラジオの登場 | ||||||||||
二 | 郵便事業の発展 | 148 | ||||||||
郵便事業の拡大 | ||||||||||
低迷する電信 | ||||||||||
第三節 | 戦時下の通信 | 150 | ||||||||
一 | 防空と通信 | 150 | ||||||||
言論統制の強化 | ||||||||||
電話・電報の使用制限 | ||||||||||
最優先の防空通信 | ||||||||||
戦争とラジオ | ||||||||||
第四節 | 戦後から経済成長期 | 154 | ||||||||
一 | 郵便事業 | 154 | ||||||||
インフレの中の郵便事業 | ||||||||||
郵便・小包郵便の推移 | ||||||||||
二 | 電気通信事業 | 154 | ||||||||
電信の利用 | ||||||||||
電話の利用と新しい需要 | ||||||||||
日本電信電話公社の誕生 | ||||||||||
三 | 通信事業の新しい展開 | 155 | ||||||||
新規加入者に負担を求める | ||||||||||
公衆電話 | ||||||||||
農村に電話を | ||||||||||
有線放送電話 | ||||||||||
全国に即時通話 | ||||||||||
四 | ラジオからテレビ時代へ | 158 | ||||||||
二十年代のラジオ普及率 | ||||||||||
民間放送の開局 | ||||||||||
ラジオからテレビへ | ||||||||||
県下のテレビ局および普及状況 | ||||||||||
第五節 | 高度情報化社会 | 161 | ||||||||
一 | 高度化する通信・情報 | 161 | ||||||||
IT革命の前夜 | ||||||||||
IT革命 | ||||||||||
二 | ITの利用 | 162 | ||||||||
人や物の流通で積極的に利用 | ||||||||||
IT利用の優等生コンビニ | ||||||||||
IT依存を高めるスーパー | ||||||||||
農産物の出荷も | ||||||||||
製造業では | ||||||||||
郵便事業でも進むIT化 | ||||||||||
学校でのパソコン利用 | ||||||||||
三 | 次世代を担う若者たち | 167 | ||||||||
携帯電話の利用 | ||||||||||
一般家庭でのパソコン普及 | ||||||||||
学校でのコンピューター | ||||||||||
技術を高めている生徒 | ||||||||||
四 | IT社会の課題 | 170 | ||||||||
デジタルディバイド | ||||||||||
人間性豊かなIT社会に | ||||||||||
第四章 | 多様化する観光 | |||||||||
第一節 | 観光の夜明け | 173 | ||||||||
一 | 長野県有数の別所温泉 | 173 | ||||||||
明治初期の別所温泉 | ||||||||||
県下の先進温泉地 | ||||||||||
別所温泉の由来 | ||||||||||
二 | 別所温泉のご一新 | 175 | ||||||||
藩政からの脱却でのびのび | ||||||||||
文明開化の波 | ||||||||||
信越線の開通 | ||||||||||
明るい雰囲気に満ちた温泉街 | ||||||||||
温泉旅籠の繁栄と村のリーダー | ||||||||||
三 | ご一新と上田町 | 177 | ||||||||
押し寄せる維新の波 | ||||||||||
上田城払い下げ | ||||||||||
花街の成長 | ||||||||||
四 | 増える汽車の旅 | 179 | ||||||||
汽車に奪われた旅人や物流 | ||||||||||
小さな旅を楽しむ | ||||||||||
明治初期上田周辺の名所旧跡 | ||||||||||
第二節 | 観光地への発進 | 181 | ||||||||
一 | 温泉地の買い上げ | 181 | ||||||||
温泉地購入の照会文書 | ||||||||||
村議会で温泉地買い上げを決議 | ||||||||||
温泉地買い上げに向けての金策 | ||||||||||
二 | 温泉地づくり | 183 | ||||||||
温泉使用条例を決議 | ||||||||||
温泉改修費の備蓄 | ||||||||||
内湯化の展開 | ||||||||||
三 | 不況の波を乗り越えて | 185 | ||||||||
温泉利用客の大減少 | ||||||||||
官民一体の提携 | ||||||||||
別所温泉協会の動き | ||||||||||
四 | 戦時中の別所温泉 | 187 | ||||||||
温泉地質調査に着手 | ||||||||||
学童疎開で埋まる温泉街 | ||||||||||
五 | 上田城下の観光 | 188 | ||||||||
荒れ放題の上田城跡 | ||||||||||
街にみなぎる活力 | ||||||||||
八日堂縁日 | ||||||||||
第三節 | 戦後の観光 | 190 | ||||||||
一 | 観光別所への脱皮 | 190 | ||||||||
ボーリングのゴーサイン | ||||||||||
別所温泉の掘削 | ||||||||||
宣伝活動と温泉祭り | ||||||||||
温泉街の整備 | ||||||||||
二 | 信州の鎌倉・塩田平 | 194 | ||||||||
塩田町観光協会の誕生 | ||||||||||
観光開発に寄せる助言 | ||||||||||
信州の鎌倉・塩田平 | ||||||||||
新しいものと古いものと | ||||||||||
三 | 上田城下の整備 | 198 | ||||||||
上田観光協会の再発足 | ||||||||||
上信越高原国立公園の指定 | ||||||||||
上田公園の整備 | ||||||||||
城下町の整備点描 | ||||||||||
観光の目玉は真田(さなだ)様 | ||||||||||
尼ケ淵一帯の公園整備 | ||||||||||
四 | 上田郊外の観光 | 201 | ||||||||
信濃国分寺史跡公園 | ||||||||||
ささらの湯 | ||||||||||
つけば | ||||||||||
松茸(たけ)山 | ||||||||||
東昌寺(とうしょうじ) | ||||||||||
大日堂 | ||||||||||
砥石城 | ||||||||||
須川(すがわ)湖 | ||||||||||
市民の森 | ||||||||||
別所森林公園 | ||||||||||
太郎山 | ||||||||||
第四節 | 上田の観光の展望 | 205 | ||||||||
一 | 観光産業の位置づけ | 205 | ||||||||
商工業と共に | ||||||||||
進む通過型観光地 | ||||||||||
温泉と名所旧跡にたよる上田 | ||||||||||
二 | 観光産業発展のかぎ | 206 | ||||||||
上田の観光地類型 | ||||||||||
文化型観光地へ | ||||||||||
新時代に即応の観光基盤づくり | ||||||||||
章節 | 目次 | 頁 |