[目次をPDFで見る(1,941.KB)]   [書籍の外観を見る(73.KB)]
上田市誌 9巻 真田氏と上田城
出版:2002年/出版元:上田市誌刊行会/編集者:上田市誌編さん委員会
章節目次
第一章







真田氏と武田氏

第一節






真田氏の祖先は 3








なぜ六文銭が








全国に名を知られる








郷土の誇り








海野氏の直系?








海野氏の姻族








幸綱か幸隆か

第二節






幸隆 武田氏の家臣に 7








海野氏の滅亡 7








海野平の合戦








棟綱上州へ逃亡








幸隆も上州へ








長野業政の下へ








武田信玄の下へ 9








信玄家督を継ぐ








信玄信濃侵攻開始








幸隆信玄の配下に

第三節






武田氏の配下での勢力拡大 13








幸隆砥石城攻略 13








上田原の合戦








敗戦処理と失地回復








砥石城攻めへ








砥石城の乗取り








本領への復帰 18








葛尾城自落








小県郡の村上残党退治








本領復帰と人質提出








川中島合戦への参戦 20








川中島合戦の始まり








尼厳城在番と海津城築城








永禄四年の激戦








上野吾妻郡への進出 24








滋野一族が繁栄の地








『加沢記』による通説への疑問








本拠地岩下城の攻略








武田側の拠点岩櫃城と真田








西上野から駿河へ 27








上野箕輪城と白井城を攻略








武田家内紛








駿河へ侵攻開始








幸隆、信綱父子吾妻郡を死守








北条との同盟再成立








信玄と幸隆の死 32








信綱の家督相続








織田信長と足利義昭








信玄の上洛の夢と死








後継者勝頼と周辺大名の反応








幸隆の死








信綱、昌輝兄弟と長篠合戦 34








信州先方衆最大の軍事力








長篠合戦と信綱、昌輝の死








昌幸の真田家相続と任務 36








昌幸の相続








真田氏は武田の譜代に








白井城代








沼田城攻略と領内経営 38








上杉氏の相続争い








岩櫃を本拠に沼田攻め








沼田城攻略








沼田と甲斐を行き来








海野兄弟を討伐








武田氏の滅亡 42








織田軍の進撃と離反








滅亡時の逸話

第四節






上田築城以前の本拠地 44








真田の館跡 44








館跡の発見








古銭と堀跡








絵図は語る








御屋敷と原の町 47








御屋敷








『真田氏給人知行地検地帳』








田畑と屋敷








町の構造








広山寺の遷り変わり








町の成り立ち








本拠地の全体像 53








本拠地の在り方








山家神社と長谷寺








横尾と信綱寺








砥石城とその城下
第二章







真田氏の自立と所領拡大

第一節






真田昌幸の自立への苦悩 59








北条・織田への臣属打診 59








事前に北条氏に臣属打診








信長に臣属の意を伝達








北条氏直へ出仕 60








織田信長の死








小県は徳川・北条・上杉の草刈場








徳川家康に臣属 62








弟信昌等の勧誘








家康からの安堵・宛行

第二節






真田昌幸の小県郡統一 63








小県郡統一に着手 63








家臣への安堵・宛行開始








祢津昌綱を攻める








徳川と北条の和議と対立、信蕃の死








依田窪地士と丸子で合戦








上田城築城 67








北信の上杉勢力を侵食








尼ヶ淵上に築城開始








築城と領内経営








小県郡の統一成る 69








昌幸沼田譲渡を拒絶








一年余の空白期間








上杉景勝に臣属








室賀謀殺の逸話

第三節






真田氏と徳川・北条・豊臣氏 72








徳川軍の上田来攻 72








徳川軍と上杉援軍








神川合戦の戦況概要








徳川軍の丸子城攻め








徳川軍の滞在と上田城完成








徳川軍の信濃撤退








北条軍の沼田攻め 75








秀吉に接近








上杉への援軍要請








エール交換の逸話








家康に出仕 77








自領を固める








秀吉の戦略転換








真田を政争の具に








家康に出仕








沼田領は北条へ 80








沼田譲渡は上洛条件








秀吉の裁断








信幸と信繁








小田原攻め 82








北条が名胡桃を侵攻








秀吉の通告と北条の言い訳








小田原総攻撃








秀吉から所領安堵 85








配置替え中の例外








父子の個別統治








朝鮮出兵と分担








京都伏見城の普請役
第三章







上田築城と城下町の形成

第一節






上田築城 91








築城の始まり 91



(1)




盆地中央への築城 91








武田氏滅亡の翌年に築城開始








盆地中央の平城



(2)




境目の城としての築城工事 91








徳川方の前線基地








上杉方の前線基地








真田昌幸命名の上田城・上田








上田城の縄張り 94



(1)




尼ヶ淵にのぞむ上田城 94








縄張り








段丘崖上の城








古城の堀








堀口十五間








城の鬼門よけ



(2)




河道の利用とその付け替え 96








旧河床利用の大水濠








外堀となった矢出沢川








真田氏時代の上田城 97



(1)




真田氏上田城の瓦 97








織豊系城郭信濃に出現








上田城跡出土の桃山期瓦








金箔押しの鯱瓦や鬼瓦








菊花文の軒丸瓦ほか



(2)




真田氏上田城の建造物 99








本丸の建造物








天守閣は








二の丸北西隅櫓ほか








その他の建造物








慶長の上田城破却 101








在番の手で破却








畑になった上田城

第二節






上田城下町の形成と整備 103








真田昌幸による城下町形成 103



(1)




海野氏の本拠地の移転 103








上田中心街の形成








真田氏海野嫡流説








本海野からの寺社の移転








本海野の海野町を上田城下へ



(2)




惣構の内の城下町 106








惣構








願行寺の位置








真田信之による城下町整備 108



(1)




町人町の整備 108








「原町」 の最初の史料








海野町・原町通りの確定








鍛冶町・紺屋町の形成








上田町



(2)




城下囲いの村々 111








城下囲いの八か村








鑓衆・鑓町








条里的遺構の名残



(3)




侍町の整備 112








陣屋支配








連歌町








新参町ほかの侍町








侍町は「ちょう」町人町は「まち」



(4)




寺社の配置 114








真田氏当時の城下の寺社








大英寺の創建








上田城・城下町用地の接収 116








農村風景が広がっていた上田城、城下町用地








上田領惣貫高寄帳にみる接収地








接収地覚え書き








九割以上真田氏時代に形成








常田庄の常田・房山








城下町の外に移された寺社








五輪塔の転用
第四章







関ヶ原・大坂の役と真田氏

第一節






真田氏と関ヶ原の戦い 123








真田父子東西に分立 123








秀吉の死と東西の対立








真田父子家康に臣従








真田父子上杉景勝攻めに出陣








真田父子東西に分立








上田城死守 126








昌幸父子と沼田城の信幸夫人








西軍諸将より真田方への勧誘状








信幸上田城攻めの秀忠軍に合流








徳川使者信幸父昌幸と会見








昌幸、信繁上田城を死守








関ヶ原戦後の処分 132








信之、昌幸父子の助命嘆願








真田信之上田城主となる








昌幸、信繁父子高野山へ配流








配流地高野山での生活 134








生活費に苦しんだ昌幸父子








昌幸高野山から下山の夢消える








病中、高野で上田を気遣う








真田昌幸の死と信繁の生活 136








昌幸九度山で逝く








信繁の高野での生活








武将信繁の飾らない人柄

第二節






真田信繁 (幸村) と大坂の役 140








幸村、大助父子大坂入城 140








徳川・豊臣の対立激化








真田幸村、大助大坂入城








大坂冬の陣 142








幸村出丸を築く








信之名代で出陣した信吉、信政








真田丸の攻防








東西両軍和睦








徳川方の幸村勧誘としばしの和平 146








徳川方の幸村勧誘工作








幸村と国元との交通








大坂夏の陣 149








東西の和睦決裂








道明寺の戦い








真田幸村隊奮戦








決戦の大坂夏の陣








真田幸村戦死








真田大助秀頼に殉死
第五章







真田氏の支配

第一節






真田氏家臣団 157








真田氏家臣団の形成 157



(1)




武田氏配下時代の真田氏家臣団 157








真田氏の知行地








真田氏の軍役量








『真田氏給人知行地検地帳』



(2)




真田氏の自立と武田旧臣の召し抱え 161








真田昌幸の自立








武田氏旧臣の召し抱え








祢津氏・大熊氏の場合








昌幸、信幸の分立と家臣団 162









上田城主昌幸と沼田城主信幸









沼田への一部重臣の移住









矢沢氏も移住








信之の上田領相続と家臣団 164



(1)




関ヶ原合戦後の措置 164








上田領の知行宛行








同心の配属替え








浪人した昌幸の旧臣も



(2)




上田領と沼田領の統治 168








一元的でなかった信之領の支配








上田と沼田への重臣の配置








信之、上田領支配に専念

第二節






真田氏の領内支配 170








貫高で表された村高 170








真田氏上田領の貫高・石高








小県郡南半分の村々貫高








料所・知行地ほかの内訳








料所と知行地 173



(1)




真田氏料所 173








料所の設定








二タイプの料所と代官



(2)




家臣知行地 175








給人とその知行地








西松本之郷知行目録








西松本の知行人と名請百姓








農村の整備復興 180








散使から肝煎へ








郷蔵の設置








盛んに行われた用水堰・ため池の整備








欠落農民とその対策








本年貢の減免・入下

第三節






真田氏松代へ 188








真田信之松代へ








真田氏家臣被官の欠落








「四十八騎浪人」事件
章節目次